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Channel: 情熱社長~情熱的なベンチャー企業社長のメッセージ~ » 2010年
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株式会社セドナエンタープライズ 代表取締役 藤澤学

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代表取締役 藤澤学

 株式会社セドナエンタープライズ   代表取締役 藤澤学

代表取締役 藤澤学

               
設立    2010年6月24日
事業内容
    • 全身脱毛革命サロン「脱毛ラボ」の経営
    • 芸能事業部「セドナエンタテイメント」運営

http://sedona-group.com/

    • シンガポール子会社:Sedona Singapore International LTD.

http://www.datsumo-labo.com.sg/

会社HP   http://datsumo-labo.com/
 

身近にいる「理想の友達」を超える事に挑戦し続けた学生時代

親が大手出版社に勤めていた関係で、
小さい頃からフライデーを読んで育ちました。
そういったゴシップ雑誌に囲まれた環境で育った為、
芸能界にはとても興味がありました。
テレビの情報なら何でも知っていたので、校内ではそこそこの人気者に(笑)
でも学生時代の親友は歴代みんな、凄い奴ばかりだったのです。
スポーツも勉強もできて喧嘩も強くて格好いい、モテる、校内で1番の人気者。
「僕もこんな男になりたいなぁ」と思って、
オシャレ、格闘技、筋トレ、お笑い、ナンパ、カラオケなどなど…
親友を超える努力をしました。

中学も…高校も…大学も…社会人になってからも…
常に自分の横にいる親友は「格好良くてモテる理想の男」。
自分が憧れる人間と親しくなり、いつかその人間を超える…
私の人生はこのチャレンジの繰り返しでした。

親友にはなかなか勝てませんでしたが、
勝つまで続ければ、いつか必ず勝てると信じて自分を磨いてきました。
勝つまで続ける努力を止めないだけで、人生は「負け知らず」になれますから。
そして私は、身近に超えられない壁が幾つも、あったからこそ、
高い壁を登るクセがつきました。

今後は、業界最大手になるという高い壁を登っていきたいと思います。

「自己犠牲の精神」で掴んだ放送作家への道

卒業後は、大手の会社に300倍の倍率に勝ち残り、入社しましたが、
3年上の先輩が私の年俸を見て「俺が入社した時の半額だね」と言ったんです。
そこで「300倍の倍率を勝ち抜いたのに不況だから会社に給料は期待できないんだな」と知りました。
それでも前向きに年間360日平均睡眠時間3時間で働きましたが、
身体を壊して2年ほどで退職。
その後、「年間360日平均睡眠時間3時間」で働く事ができた自分の力を試したくなり、
思い切って、かねてから憧れていた放送作家を志しました。
放送作家を選んだ理由は、自分なら面白いものを生み出せると思ったから。
でも、最初から仕事があるわけもありません。
周りが出世街道に乗る中、一人取り残されているような劣等感に悩みました。

そこで、改めて自分について思い返してみたんです。
すると、今まで自分は学校でも会社でも「一番の権力者」に好かれていたな、と。
自分で打開できないときは凄い人間の知恵を借りて打開策を導く・・・
このコンセプトを使わない手はないと(笑)

まずは女友達を集めて、有名なTVプロデューサーの合コン接待をはじめました。
そこからテレビ局に出入りするきっかけを掴み、
(あの鈴木おさむさんも一目置く)業界ナンバーワンのバラエティ演出家の方と
お近づきになる機会をもらったんです。
その際、圧倒的な仕切りで開いた合コンが功を奏し(笑)
その方が手がける番組に呼ばれたんです。もう、必死でしがみつきました。

「チャンスは一度きりしかない」精神で、幸運にも高い評価をいただき、
放送作家として軌道に乗りました。
放送作家3年目で私はレギュラー8本、特番7本、他にもドラマなどを担当し、
常時20本近くの案件を抱える身になりました。

テレビ業界で知った「完全成果主義」! テレビが私を日本屈指の「ドM」に変えた

テレビ業界で面白いなと思ったのは、
結果主義に基づいた枠組みができている部分です。
報酬は「努力」に対してではなく「成果」に対して支払われます。
「1回の放送につき◯万円」といった具合です。

例えば1つの企画書が通ったら、3ヶ月後くらいに放送されます。
それまでは無給ですし、放送された2ヶ月後くらいに報酬が支払われるので、
仕事の成果をもらうのに半年近くかかります。
「忍耐力」が試される仕事ですので「圧倒的自己犠牲精神」とでも言いましょうか、
毎日5時間かけて1本の企画書を書く作業を、1年で約300本やりました。
企画書が通らないとお金にはつながらないのですから、もう「ドM」状態です。
クライアントであるテレビ局員は王様であり「ドS」でしたから(笑)
しかしながら、世の中には「あぁ、こういう価値観があるんだな」と、
とてもストイックになることができました。

こうしてテレビ業界に身を置いた10年間で、中折れしない精神が培われました。
接待も行い、誰よりも働いてやっと仕事がもらえる世界です。
おかげで今は、ゼロから100を作る能力、仕事の速さでは負ける気がしません。
テレビ業界には人生で最も貴重な経験を積ませて頂きました。
今でも業界の皆さんのことを心より尊敬しておりますし、愛しております。

人生が一番忙しい「ピーク時」にこそ独立すべき!

放送作家になって3年が経ち
「このまま放送作家の仕事をもう5年くらい続けて、
落ち着いてから自分の会社でも作ろうかな」と考え始めた頃、
「人生の師匠」とも呼べる方と出会いました。
そのきっかけは、とある食事会でした。

その方に「人生がピークの時にこそ独立すべき!今がその時だ」と教わり、
番組を常時20本ほど抱えている最中、放送作家の仕事と兼務で、
経営をはじめる決意をしたんです。
そこで注目したのが「脱毛サロン」でした。

何も知らない業界ゆえに、最初はもうめちゃくちゃでした。
それこそ睡眠時間が1時間ほどでしたが、
「自分には素晴らしい人生の師匠がいるんだ!」という心強さ、
今まで培われてきた仕事の価値観、そして自分の運もあって、
何とかここまで会社を継続させることができました。

しかしながら、ライバルの多い業界。
成功しているサロンの真似をそっくりそのままやっても、
その人を超えることはできませんし、2匹目のドジョウになってしまいます。
ですから1匹目のドジョウになるために、
「今までの脱毛サロンにはない全く新しいサービス」を考案しました。
それが「月額制の全身脱毛プラン」でした。

そのようにして私は今後も、自分ができる範囲で
「誰もやったことがない前人未到の土壌」を作り上げていきたいと考えております。

放送作家で培った構成力で「経営のストーリー」を描き、客単価を達成

今後も、「圧倒的なスピード」と「真摯な経営」を突き通していきます。
まだ設立2年目の企業ですが、
創業5年目には海外展開も含め、100店舗を目指しています。

放送作家でしたので、経営に関しても自分の望むストーリーを描くのが得意です。
たとえば、店のシステムに関してもそうです。
とりあえず、創業当初「月額制で9980円でできる全身脱毛プラン」を
打ち出してはみましたが、思うような売上があがらなかった時期がありました。
そこで「どうすればお客様がもっとお金を使いたくなるのか?」を徹底研究し、
お金を使いたくなるようなストーリーを描いたのです。
もちろん詳しい秘訣は秘密ですが(笑)

そうしたところ運良く、売上が立つようになりました。
急激に店舗数を増やすことができたのも、この作戦が成功したおかげなのです。

新卒の力で突き進む!

実は、今年の夏から慌てて新卒採用を開始しました。
手探りで経営をしてきましたので、なかなか新卒採用という考えに至らなくて。
仕事に対する意識が高い新卒の方々の力を借りないなんて、もったいないことです。

将来に安定を求めている方々も多いようですが、
果たして安定する職とは一体、何を指すのでしょうか。
大手企業が軒並み給料を減らされ倒産する中、
国の借金が1000兆円に達する中、
消費税が高騰する中・・・
安定した仕事というものは世の中に存在しないと思うのです。
結局、最後は全て自分に頼るしか無いと思うのです。

当社の社員には、マメであるようにと常に言っています。
メールはすぐに返す、電話には必ず出る、など。
相手に対し、「あなたを気遣っていますよ」とアピールすることが重要なんです。

僕が目指すのは、「人間としてモテる働き方」です。
結果を出し続けたい、これまでの価値観を壊したい、新しいことをはじめたい。
今後は、「この会社は脱毛サロンなの?何の会社なの?」と言われるくらい、
現状のエステサロンでは考えられない発想の試みを実践していきたいと思います。

社員に、いつも言っていることがあります。
「大変だけれども、ついてきてほしい。その後は必ず良かったと思えるときがやってくる」


Retty株式会社 代表取締役 武田 和也

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代表取締役 武田 和也

代表取締役 武田 和也

設立 2010年11月
事業内容
  • グルメサービスRettyの運営
会社HP http://corp.retty.me

インドで味わった想いが、自分を動かした

愛媛県に生まれ育ち、高校卒業後は意気揚々と東京の大学へ進学。
最初の2年間は大勢の人と接し、さまざまな経験を積もうと考えていました。
旅行やサークル活動など、いわゆる“大学生らしい”毎日でしたね。

そして3年次。
将来の仕事を見据えたゴールを設定しようと思い、
周りが当たり前に就活をし始める中、
僕はまず「人はなぜ仕事をするのか?」「自分は何をやりたいか?」
なんていうことをずっと考えていました。

一方で、成功した起業家の本を読んで刺激を受けたり、
大学でベンチャー企業の経営者の講義を聞く機会もあり、
「自分もこういう人生を送りたい!」と、感じるようになりました。

でも、もっと大きく自分が影響を受けた出来事があって。
それは、インドに行ったときのこと。
現地の光景を目の当たりにし、日本との生活レベルの差に愕然として…。
「自分が生きている豊かな日本は、過去の起業家たちがつくり上げたものなのだ」と、
何とも言えない想いがこみ上げてきました。

それを機に、
私たちの世代で、日本をもっと盛り上げていかなければならない。
豊かな日本にしてくれた過去の人々に恩返しをしたい。
そんな気持ちがどんどん膨らんでいったんです。

ナンバーワンを目指して働く日々

そして起業を決意し、企業の力も借りてECサイトの運営をスタート。
ここには商売の基本が詰まっていると考えましたが、
実際、自分で事業をすることにワクワクしましたね。
約10ヵ月で月商500万ほどにまで成長させたのですが、
とある企業との出会いがあり、大学卒業後は一度就職しました。

僕が入ったのは少し変わった会社で、
多くの起業家が集まるという、何とも魅力的な環境だったんです。
ただし、将来は起業するつもりでしたから「3年で辞めます」と宣言していました。

当時、大きな成長性が見込めたモバイル広告の仕事。
僕は営業をしていましたが、とにかく「結果がすべて」だと考えていました。
「3年間」という期間限定でも、
置かれている環境でナンバーワンになることを自分に課していました。

ちなみに、その考えはいまでも変わっていません。
ビジネスの世界では、結果を出すことで周りから信頼されます。
そして信頼される人間であれば、
もし違う分野に行っても、また勉強して結果を出すことができる。
誰もが納得できる結果を出し続けることは容易ではありませんが、常にそれを目指しています。

起業の準備期間はアメリカで

3年後、宣言通り退職しましたが、すぐに起業したわけではありません。

まずはどの分野で勝負するかを考えました。
ナンバーワンになることが目標なので、100人しか使わないサービスを作っても仕方がない。
とはいえ、Webサービスを作ったこともなければ、将来性のあるものもよくわからない。
そんな状態で起業しても上手くいかないなと思い、
自由に考える時間を作るべく、アメリカのサンフランシスコに渡りました。
「最長1年間」という制限付きで。

現地でやっていたのは、アイディアを出すことです。
「一週間にふたつ」のノルマを設定し、
とにかく質の高いオリジナルのアイディアを出すために、さまざまな市場について深く調べました。
“ソーシャルメディア”が盛り上がることはわかっており、
「ネットとリアル店舗を結びつけること」がこれからのカギになると考え、
その最初に狙うべき分野として“飲食”に行き着きました。

すぐに帰国して起業したものの、自分自身、Webサービスの開発に関しては素人。
前職の後輩と二人、本を見ながら少しずつ進めていくうちに、
次第にメンバーが集まって無事にRettyのリリースに至りました。

“世界でナンバーワン”の存在へ!

それでも「リリース=成功」ではないので、ひっそりコツコツと進めていましたね。
サービスは「ユーザーがどう使うか?」「ユーザーがどのように思うか?」が一番であって、
とにかくユーザーに支持されていかなければ意味がないな、と。

運営者側とユーザー側の距離感も大切にしています。
やはりユーザーの生の声を聞くことは大事ですし、
実際にユーザーから教えてもらうことも多々あります。
仲良くなって、飲み会に誘ってもらうこともあるんですよ(笑)。

現在、Rettyの会員登録者数は10万人超。
Retty経由でグルメ好きな人同士のつながりができることも喜びですが、
サービスの今後としては、まずお店がしっかり探せるということを大前提としたうえで、
さらなるユーザー数増加につなげていきたいと思っています。

会社としてのビジョンは、
今後力になってくれるメンバーを増やしながら、規模を拡大していきます。
日本の飲食メディアは世界で最も発展していると思っているので、
この分野において、当社は“世界でナンバーワン”の存在になるつもりでいます。

「働くこと」に対する想い

こうして僕は、自分の目標に向かうために起業したわけですが、
決して「起業が何よりも素晴らしい」と考えているわけではありません。

ただ、自分で「働くこと」に対する意味やそのゴールを設定するとき、
単純に「偉くなる」だとか「お金持ちになる」ということを答えにするのではなく、、
誰かのためになることをして形を残せれば、
結果的にはそれが究極の自己満足なんじゃないかなって思います。
人間の人生、わずか100年程度しかないですしね。

社会人になると、仕事をする時間は人生の多くを占めることになります。
だから僕は、「仕事」だとか「プライベート」だとか、特別に分けて考えていません。
仕事で世界中の人々を幸せにすることが、僕自身の一生の夢でもあります。

また、何かを始めようとするときに、
「自分にできること」という観点で考えてスタートする人は多いと思います。
でも、「自分がやりたいこと」からスタートしても何とかなるものなんですよ。
Webサービスを運営している僕自身、もともとWebサイトを作ったことなんてありませんでしたが、
本気で向き合っていればリソースは自然と集まるものだと実感しました。

「何をやりたいのか?」を徹底的に考えて!

いま、インターン中の学生と接していて感じるのは、
とにかく「何をしていいのかわからない」と話す子が多いこと。

学生のうちに「よし、将来はこれをするぞ!」と確信するのは簡単でないのはわかるのですが、
現時点で何か確信を持てるものがあるかどうか。
それによって、日常の過ごし方も変わってくると思います。

ですから、時間がある段階で徹底的に自分と向き合って、
「何のために働くのか?」「何をやりたいのか?」ということを考えてみてください。
悩みぬいて、たったひとつの答えを突き詰めることができれば、強くなります。
ちなみに、途中でやりたいことが変わるのは、決して悪いことではありません。

もし、それでも答えが出ない場合は、まず目の前のことに本気で取り組んでみましょう。

学生時代、僕は本を一週間に一冊のペースで読みました。
そこから得るものもありましたし、さまざまな業界で活躍している人と話してみるのも良いと思います。
自分で何かきっかけを作ることで、ヒントが見つかるはずです!

株式会社入江感動経営研究所 代表取締役 入江元太

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代表取締役 入江元太

代表取締役 入江元太

設立 2010年10月
事業内容
  • 福祉経営コンサルティング
  • 教育研修
会社HP http://irie-kando.com/

あまり勉強せず、就職活動に苦労

中学受験のときは勉強も塾も楽しくて、とても勉強のできる子でした。
ところが大学までエスカレーターだったので、
入学してしまうと、周りはほとんど勉強していませんでした。
当然私も勉強はせず、学生時代はバイトとサークルしかしていなかったのです。

毎日を“ほわほわ”と過ごしていました。
人生、楽(らく)して楽しく生きたいなんて思っていました。

勉強をしていなかったため、もちろん就職活動では苦労しました。

当時は学校ではみんな一部上場企業に入るのが当たり前のような雰囲気があり、
銀行勤務の父親からも、ちゃんとしたところに入ってほしいと言われていました。

片っぱしから受け、片っぱしから落ち続け、
最後にようやく1社、NECに受かったのです。

あまりかっこいい学生時代ではなかったですね。
でも後悔はしていなくて、人生って最善なことしか起こっていないのだと思います。
あのとき“ほわほわ”していたからこそ、今、こうして地に足をつけ生きれているような気がします。

入社3年目で、初めて知った仕事の楽しさ

配属されたのは関西支社で、初めて一人暮らしを経験しました。
一人っ子で包丁も持ったことがなく、
周りからは、ボンボンの“ボンタ”とあだ名を付けられました。

大阪に馴染めず、学生気分が抜け切らないような社会人だったので
友達もなかなかできず、土日はゲームが友達のような生活でした。

仕事は新規開拓をやっていましたが、やり方もよくわからず成果も出せませんでした。
同期とも比べられ、当然評価も低かったのです。
その結果仕事を任せてもらう、という機会もなかなかありませんでした。

ところが3年目に上司が代わり、大きな仕事を任されるようになりました。
やはりお客様からも信頼され、頼りにされるようになると、とてもうれしく、
仕事の醍醐味というものを初めて実感しました。

毎日終電まで仕事、土日も仕事という日々が3年ぐらい続きましたが、とても毎日が充実していました。

仕事の喜びを知り、成長させてもらった時期でした。
それからは上司が代わっても、モチベーションが落ちることはありませんでした。
仕事も評価され、働く部署では欠かせない存在にまで成長することができました。

成績で給料に大きく差が出るしくみではありませんでしたが
ボーナスがちょっと良くなりました。

会社で出世したい気持ちが強くなった30歳前後

当時、2年ほど付き合っていた彼女がいました。
結婚を意識し、指輪を買い、プロポーズが明日、と迫ってきた時に、
会社で上司に呼ばれ、なんと異動を告げられたのです。

場所は四国の高松で、これは左遷だ、会社なんかもう辞めたいと即座に思いました。
翌日、会社を辞めるかもしれないと正直に話してプロポーズしたのですが、
それでも彼女はOKしてくれました。

上司にも、異動はお前に期待するからだと言われ、高松に行くことを決心しました。

この異動は、何万人という規模の会社で出世していくには良い経験かもしれないと、
自分なりにポジティブに捉えることにしました。
そう考えるといてもたってもいられなくなり、
支社長宛に、そっちに行ったらこんな仕事がしたい、と事前に手紙を送りました。
そんなことをする人間は滅多にいないので面白いと思われたのか、
大きな仕事やいいお客様を担当させてくれたのです。

おかげで30歳頃には成績も上がり、収入も増え、すっかり天狗になっていました。

独立への夢と師匠との出会い

その頃、経営コンサルタントのメールマガジンを購読していて、
発行者が、今の私の師匠である臥龍(がりゅう)先生こと角田識之先生だったのです。

臥龍先生のセミナーが岡山であると知り、生まれて初めて自分でお金を払い、
片道3時間かけて聴きに行きました。

それまで研修とかセミナーは、会社が費用を負担するものばかりで、
自分で勉強のためにお金を払ったことがなかったのです。

お話を聞いて感銘を受け、こんな人になりたいと強く思い、
どうやったら経営コンサルタントになれるのだろう、と考え始めました。

会社で出世したいという気持ちが、
いつしか経営コンサルタントとして独立したい、という気持ちに変わっていったのです。
でも当時はその力もなく、仕事も営業の経験しかありませんでした。

ちょうど会社で、中小企業診断士の資格取得のために、
専門学校の費用を負担してくれるという公募がありました。
中小企業診断士は、日本で唯一、国が認めるコンサルタント資格と知り、
さっそく応募したのです。

合格率は5%、最低1000時間の勉強が必要と言われていました。

当然仕事をしながら勉強するので、時間はありません。
そこで土日に7時間ずつと、平日は朝5時に起きて毎日1時間ずつ勉強することにしたのです。

それからというもの脳が汗をかくくらい勉強しました。
こんなに真剣に勉強に励んだのは中学受験以来の経験でした。

会社の組織のことや人の成長のことなど、仕事に通じる内容で、
勉強が楽しくて仕方ありませんでした。

最初の挑戦では、一次試験は合格しましたが、二次は落ちてしまいました。

転職、そして独立

このころ、いろいろと試練が続きました。

今のままでは解決できないと感じ、悩みに悩んだのですが、
12年間勤めた大企業から、中小のコンサルティング会社に転職。

新しい会社で不慣れな仕事をしながら勉強を継続し、
次年度の中小企業診断士試験はなんとか合格することができました。

「いつか独立したい」と思っていた時、臥龍先生に言われました。
夢に日付をつけないといつかはいつかのまま、夢で終わるよ。このことをきっかけに、会社を起こす日を決めました。

2年後に独立した当初は、仕事がほとんどなく、生きていくのもやっとの状況でしたが、
半年後から大きな研修も受注し、軌道に乗ってきました。

転職先が福祉分野を得意にしていたことから、私もお客様の福祉の仕事が好きになっていきました。
そのため独立後もご縁あり、福祉施設向けのコンサルティングや教育研修を専門にしています。

福祉施設というのは、大きく分けると、高齢、障がい、保育の3分野があります。
職員さんたちの笑顔こそ、子どもたちやご利用者さんの笑顔を引き出す、をモットーに、
輝く施設づくりのお志事をしています。

社名に「感動」と入れたのは、感動で人が変わる、人が成長するお志事がしたかったからです。

歴史が好きで、歴史の勉強会も主宰しています。
研修の教え子もたまに来てくれて、人とつながる学びの場にもなっており、
これからもずっと続けたいと思っています。

夢はなくてもいい、仕事を続けるうちに気づく

孔子の「50(歳)にして、天命(てんめい)を知る」という言葉があります。

私は学生のとき、あまり夢がありませんでした。

でも、夢はなくてもいいんだと思います。

目の前の与えられた役割を果していけば、どんどん役割が与えられます。
それを一つひとつ行っていけば、いつか、
天から課される仕事=「天命」という大仕事に出会うのではないでしょうか。

孔子のような偉大な人でも、やっと50歳で気づくといっています。
私もようやく、何となく気づき始めたところです。

ましてや20歳そこそこで、夢がなくても仕方ないんだと思います。

ですから、夢がないなら、まず就職し、全力で仕事=お役立ちをしてください。
仕事でお役立ちしていくうちに、お役立ち人間になり、いつの日か、唯一無二の天命に気づける人間になります。
夢や自分探しよりも、まず目の前の仕事で、全力でお役立ちしてください。

株式会社アイグローワークス 代表取締役 小池 純

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代表取締役 小池 純

代表取締役 小池 純

設立 2010年6月9日ロックの日
事業内容
  • 輸入雑貨・フルーツなどの商品企画・卸売業
会社HP http://www.igrowworks.jp/

バンド活動から、起業へ

スタッフとブレックファーストミーティング

大学を1年でやめ、27歳までバンド活動をしていました。
そのときは「いつかはバンドで食べていけるようになりたい!」と思っていましたね。

その後出版社に入って、自分の性格やこれからの方向性が見えてきたんです。
まず分かったのは、サラリーマンは性格上無理だということ。
指図されるのが性分に合いませんでした。
「使われる」よりは、「自分で生み出す」仕事をしたかった。
会社で働く経験も必要だとは分かっているのですが、やはりどうしても自分が
全部やりたいと思ってしまって。
自分のアイデアがそのまま仕事になったり、一番責任を負う立場で仕事ができればと
感じていました。

「指図されるのが嫌」、だけでは単なるワガママで終わってしまいます。
それなら自分でやるしかない。
自分でやってダメなら、今のように人に従ってやる生活に戻るしかない。
自分でやれる人間になるんだと、そこで腹をくくりました。

人に夢を与える事業を

毎年恒例の甲子園研修。熱いっ!!

現在、弊社の軸となるフルーツ事業は
「国産フルーツのおいしさをもっと世の中に広げていき、フルーツを食べる文化をつくっていきたい」
という考えをもとに活動しています。
僕が前にいた会社のビジネスモデルを独立させた形なのですが、
最初は何となく始めた事業も、
フルーツを知れば知るほど美味しさやその栄養価の高さに魅せられるようになってきました。
そのうち愛着が生まれ、農家さんの強い思いなども見えてきて、
この方たちのために本気で働きたいという気持ちが強くなりました。

またフルーツ以外にも、今後はいろいろなことにチャレンジしていきたいと思っています。
たとえば、元々興味があったものを挙げると「店づくり」です。
カフェ、バー、古着、CD、インテリアなどが好きだったので、
そういうものをごちゃまぜにした店をつくりたいとも思います。
1階がカフェで、2階に上がるとショップになっているような、そういう店です。
まだまだ思案段階なので、詳しいことは秘密ですが(笑)。

完全な商業目的というよりは、スタッフやお客様に夢を与えられるような店にしたい。
「ここで働いたことがきっかけで、自分の夢が持てるようになった」
店で働くという経験を通して起業家を育成するような、教育機関を兼ねたお店だといいですね。
カフェという業態でありながら、学びも提供するんです。

社長になるための“1勝9敗”

社長になるには?

しばしばこのような質問を頂くのですが、
それに対して僕は、
「なるまでやること」と答えています。

目標達成の過程が結果に反映されるまでの時間は、人によって違います。
障害にぶつかって諦める人、諦めない人。
諦める人は、どんどん淘汰されていきます。
だから、最後まで諦めずにやり続ければ、結果は現れるようになっているのです。
某アパレル会社の会長も言っています1勝9敗でいい。と

やったことがすぐ結果に反映されるなら、
みんなやって、みんな成功しているでしょう。
これは業種・職種関係なく、すべての業界に関して言えることだと思います。

僕の経験上、起業までの過程で不安に感じたことは、「理解者の不足」でした。
みんな僕のことを心配してくれているからこそ、
様々なことを言ってくれていたのですが…。

でも、全員に応援されているような事業は絶対成功しません。
「絶対イケる!」という事業なら、みんな成功していると思いませんか?
非常識を常識にすること。
理解されずとも、そこを押し切ってやろうという信念が大事だと思います。
反対されるからやめようという人は、そもそも起業向きではないかもしれませんね。

若者はワガママでいい

若い人は、自分のやりたいことが少ないように感じます。
やりたいことは絶対にあるんですが、そこに目を向けられていない。
自分のやりたい事やできる姿をまずは妄想することが大事です。

歳をとればとるほど、自分の夢に対して周囲の反対が増えてきますよね。
いい歳になっていつまで夢を見てるんだと。
夢を持っても言いづらい環境があるのは確かですが、
若者はもっと自分の可能性を信じてワガママにいけばいいのにと思います。

僕は根拠のない自信ばかりある若者でした。
それでバンドをやっていたんですが、思うようにうまくいかなくて。
やりたいことをとりあえずやってしまう感じで、いろいろワガママでしたね。
人生一度きりだし自分の人生なんだから、せめて自分の夢には遠慮したくないんです。
変に自制心ばかりが強くなりすぎたら保守的で何も生まれません。
少しくらいわがままであった方が何かを生み出すような気がします。
小さくまとまらず大きくはみ出さずって感じですね。

会社も人もビッグに育てる

起業してから、売上が伸びない、人が育たないなど、
時にはネガティブに感じる瞬間もあります。
でも、基本的にすべて自分の想定範囲内。
死ぬほど大変だと感じたことは今までにはないですね。

採用に関しても、欲しい人を採用するというよりも自分が欲しい人材に育てます。
もちろん、こちらの求める像に近い人には来てもらえるので、
プラスアルファでその人の伸びしろに気付かせてあげるようにしたい。
自分にできているんだから、みんな成長できる。
経営者はみなこう思うんですよ(笑)。
柔軟な姿勢で、受け皿を広く。
この姿勢を今後も維持していきたいですね。

フルーツの事業拡大も視野に入れています。
まずは多店舗展開。店舗が増えれば、普及率の拡大につながりますから。
フルーツは農家の方が精魂こめて作っているものです。そこまで大量生産もできません。
正当な値段で売ろうとしても、現在の売り場は主に大衆向けのスーパー。
安値が主流です。

僕たちの売り方は対面販売。自称「攻める八百屋」です。
フルーツの質の良さや、使っている肥料、食べごろはいつかなど、
陳列販売では伝わりにくい様々な部分を口頭で伝えることができる。
これがフルーツの理想的な販売方法なんです。
スーパーにはできない、「ホンモノ」を伝える売り方が、農家の方にも支持されています。
この売り方をいろいろな地域に浸透させ、フルーツの価値を再認識してもらいたいです。

学生へのメッセージ

会社選びというよりも、仕事に対しての捉え方が重要だと思います。
仕事が面白い、つまらないというのは自分の取り組み方次第です。
とりあえずやると決めたことは、ある一定のラインまで自力でしっかりやること。
少しやっただけでは、向いている、向いていないという判断はできません。
ひとつのことをやりきってみる決心をして下さい。
楽しい仕事をやるのではなく、やる仕事を楽しむ。そんな感じで。
僕自身は、悶々としている人と一緒に働きたいですね。
根拠のない自信があって、将来ビッグになりたいと思っている。
何かできる気がするが、でも何をやっていいかその手段が分からない。
それでいて、少し謙虚にアドバイスを受け入れることができる人。
そんな人なら、一緒に大きく成長できると思っています。
熱く泣ける仕事を一緒にしていきましょう。

テラモーターズ株式会社 代表取締役 徳重 徹

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代表取締役 徳重 徹

代表取締役 徳重 徹

 
設立 2010年4月
事業内容
  • 電動バイク/シニアカーの開発・設計・販売
会社HP http://www.terra-motors.com/jp/

グローバルな働きかたを求めてシリコンバレーへ

大手損保会社に勤めていた20代後半の頃
「このままでは世界を相手に革新的なビジネスはできない」と考え、
退職してアメリカのシリコンバレーに行きました。
世界を相手に働きたいという思いは、学生時代にソニーの盛田氏や
本田宗一郎氏の著書で影響を受けてから、ずっと抱き続けていました。
ただし、行き先にシリコンバレーを選んだのは、グローバルな仕事をするためよりも、
今まで築いてきたものをゼロにしてまで行くのだから、敢えて難しいところで
チャレンジしてみたい気持ちが強かったからです。
私の考える「ベンチャースピリット」は、やはりシリコンバレーにあるという発想でした。

シリコンバレーでは、日本の会社の現地法人で働き始めましたが、
ITバブル崩壊が起きて、閉鎖すると言われてしまいました。
しかし就労ビザのことを考えると、法人に所属している必要があるため、
本社からの資金はいらないから、そのまま在籍させてほしいと頼んだのです。
それで法人を存続してもらい、自分でコンサルの仕事をとってきて、
収入を得ていました。

ベンチャー企業としてイノベーションを目指す

日本に帰国してきたのは、自分の価値を確立し、差別化ができたからです。
私が他のITベンチャーの社長と違う点は、
シリコンバレーへの渡米経験から海外のことを肌で分かっているところ、
盛田氏や本田氏など昭和の経営者の考え方を大切にしているところ、
更には母国である日本に対する思いがあるところです。

日本の大企業が下降をたどる今、私の役割は
日本発のメガベンチャーを作り出すことであると考えています。
そのためには、やはりシリコンバレーのようにゼロから何かを創り上げる経験をしていないといけません。
マイクロソフトを目指す、フェイスブックをぶっ潰す、そのくらいの気概が必要なのです。

メガベンチャーを目指すにあたって、「日本の技術を世界に」というのが私のコンセプトです。
そして、参入する業種として、イノベーションが今後起こるであろう分野に目をつけるのが大事だと考えています。
帰国して3年ほどはコンサル事業をしながら、色々と試行錯誤を続け、
見つけたのがEV(electric vehicle)=電動バイク。
従来のバイクと違い、EVはエンジンが一切不要であるため、
ホンダやヤマハなどの大手が参入してきません。
私はそこにビジネスチャンスを見い出したのです。

ビジョンを共有できる仲間と、世界を相手にビジネスをしたい

日本経済はこの20年間というもの、ずっとデフレ傾向で全てが縮こまっていますし、
「どうせ無理でしょ」「駄目だから」という雰囲気は充満しています。
あとは周りや相手を気にしすぎる人も多いと感じています。
坂本龍馬の有名な言葉に「世の中の人は何とも言わば言え。
わが成すことは我のみぞ知る」というものがあります。
世間が何を言おうとも、自分がやっていることは自分だけが分かっていればよい、
そのくらいの気持ちでやってほしいと思います。

私は世界を変えるというビジョンを本気で掲げているので、
当社にはその思いを共にする人間が集まってきます。
大手企業の海外駐在員、大手メーカーのエンジニア、
大手コンサルティングの会社員など、年収が4分の1になっても
当社で働くために転職してくるのです。

私の著書「世界へ挑め!」には、日本人が海外で戦うために必要なことを書きました。
それを読んでもらえたら、私のビジョンが分かりますし、
一緒に働けるのか、難しいのかが判断できるはずです。
そのビジョンを共感できる人間とともに、今後も進んでいこうと思っています。

アジアの市場へ本格参入始動!

当社はこれからアジアの市場、まずはベトナムとフィリピンへと本格参入をします。
もともと私はアジア中心に事業展開をしていくつもりでいました。
グローバルな時代となった今、本社をどこにするか、製造は、市場は、と考えて、
最適なところでビジネスをしていく必要があります。
そうすることでチャンスも大きく広がってくるのですから。
当社の場合には、ガソリンバイクの市場があるなら、どこでもやりますが、
やはり大きいのはアジア。
例えばベトナムなら300万台、日本の10倍の市場がありますし、
インド、中国、インドネシアなどは、さらに大きな市場であると言えます。

海外で事業展開をする際にネックとなるのが情報。
誰と組めばいいのかという情報が、とにかく乏しいのです。
今年から海外に進出する私たちにしても、パートナー選びのための情報収集と、
その後にどのようにして決めるかが本当に大変で、そこがリスク要因です。

日本でのパートナー販売

パートナーとの関係については、日本においても簡単ではありません。
日本は日本で新しいものを取り入れるマインドが少ない、
要は保守的なのでそれなりの苦労があります。
特に私たちのようなベンチャー企業が、新しい市場を切り拓いていく事は大変です。

当社の商品はパートナーに販売してもらっているので、
パートナーになる人が、新しい商品で新しい市場を切り拓いていくという
やる気があるかどうかが重要です。
それに加え、お客様のニーズや要望をしっかりと聞いて拾ってくることも必要です。
日本でのパートナー選びは、同じ思いやビジョンを持つ「同志」を見つけ、
信頼関係を築いていくところから始めています。

学生へのメッセージ

起業を考えているなら、もっと大きく物事を捉え、考えてください。
ちょっとアプリをやって儲けよう、というのは駄目だと思います。
それが次の事業を展開していくための手段ならいいのですが、
それだけで終わってしまうようではいけません。
もっと大きなことを目指し、目線を高くして進んでいきましょう。

そして「何のために会社をやるのか」も大事。
お金を儲けたい、異性にモテたいだけでは、会社は大きくなりません。
何のために起業をするのか、そこに社会の課題が入っているべきなのです。
例えば私の場合、メガベンチャーを目指しているのは「日本再建」のため。
起業するにあたっては、自分の得意なこと、やりたいことに加えて、
いかに社会の課題を解決するかも考えてほしいと思います。

株式会社ICE 代表取締役 阪本 欣也

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代表取締役 阪本 欣也

代表取締役 阪本 欣也

設立 2010年3月15日
事業内容
  • アロマセラピーサロン、
    整体・手もみマッサージサロンの運営
    (国産メーカー直営)
  • 化粧品自社工場の運営
    (コスメ・美容関連
    ・アロマ・サロン製品全般の製造。
    【製造業 01CZ200030】
    【製造販売業 01C0X10037】)
  • ウェルネスプログラムの企画構築・運営
  • 人材派遣【般13-304974】
  • 各種コンサルティング、
    スポーツイベント企画・運営  等
会社HP http://www.iceresort.jp/

就活での苦労

就活は、バブルがはじけた翌年で、就職氷河期という言葉ができた年。かなり大変でした。
就職協定も厳しくない時代だったので、就職説明会は東京6大学以外は参加できない、といったこともよくありました。
ウェブでのエントリーもなかったので、せっせと手書きでハガキを出しました。
高校時代には、美大に進もうかと思ったぐらいデザインに興味がありましたので、
就活は美容関連や、アパレル企業をメインに受けました。

就職を決めたのは、誰も名前を知らない小さな会社でした。入社当時は、社員30人ぐらいでしたね。
会社が大きくなる過程で、化粧品や健康食品へと事業を拡大し、
エステやホテル、アパレルにまで多角化を進めていったので、新規事業の立ち上げに携われたのは貴重な経験です。
なにしろ、「ヘリコプターを買ってこい」、「温泉を掘削してこい」と次々に言われるのですから、こりゃあ面白いと。
普通ではできない経験です。

20代は面白い、で良かったのですが、たとえ10億円の売上げ取ってきても給料は変わらない。
やりがいという点で、疑問を感じるようになりました。

コンサルに転身、起業という事への意識

30代になって、仕事のやりがいについて向き合うことが多くなった時に、
経営コンサルティングをしていた大学の先輩から誘われ、事業再生のコンサルを始めます。
2年程の単位で企業に入って事業再生をするのですが、
テレビなどで目にする大手航空会社のような大企業の再建とは全く違います。
銀行が債権を放棄したり、税金が投入されるなんてことは中小企業ではありえません。
債権者は少しでも借金を取り立てようとするし、オーナーによってはリストラ前提でやってほしいという場合もあります。

その状況で「モチベーションアップ」という言葉は全く意味を成しません。
会社に背を向けた人には、モチベーション云々よりも目の前の仕事の為に手を動かさなければならない。
結局は、企業の再生は人の再生なのです。

おかげさまで、手がけた事業再生は全部成功しましたが、本当に大変でした。
マイナスというマイナスを何とかゼロに持っていって、さらにそこからプラスにしなければならない。

ゼロをプラスに持っていく方が早いだろうと思い、起業について真剣に考え始めたのです。

健康をキーワードにした会社を設立

会社の事業分野は、本当はスポーツに絞りたかったのですが、それだけで食べていくのは難しいので、
「美容・健康」をキーワードにしています。
僕自身、健康志向が強く、病院が大嫌いで、年金も今後どうなるかわからない。
それなら病院にかからなければ良いわけで、「予防医療」に繋がる事業を展開しています。
幸い、化粧品や健康食品、エステ事業の経験があるので、
まずはフランスでは医療として使われているアロマを切り口にしたサロンをスタートさせました。

化粧品の自社工場も、北海道に構えました。北海道は水と空気がとても綺麗です。
オホーツク海の鮭からとれるオーシャンコラーゲンや、雪解けが起きる10日間にしか取れない白樺の樹液など、
そこでしか取れない特殊な素材があるからです。
北にあるものほど、保湿効果や、保温効果の高いものを得ることが出来るんですよ。
機械を最小限にし、なるべくハンドメイドに近い形で製造しているのでひとつひとつの製品にどうしても差異が出てしまいます。
大量生産もできませんし、売り幅も減ります。
しかし、日本人のハンドメイドによるクオリティは大切にしていきたいので、ブレずに続けるつもりです。
大手企業と同じことを行えば良いわけではないので、ランチェスター経営を重視した戦略になっていますね。

震災後の苦難

震災直後、世の中が自粛傾向にあった時は本当に大変でした。
アロマサロンのリゾートは、半年間開店休業の状態が続いたので、私自身の給料を1年半ストップしました。
整理解雇はしないと宣言しましたが、本社が東京都なので助成金がおりません。
伊豆では計画停電の影響があり、お湯を沸かすことも料理を提供することも出来ませんでした。
3ヵ月の間に様々な旅館が潰れ、多くの人々が解雇されるのを目の当たりにしました。
それでも旅館を閉めるわけにはいかないのですが、お客さんが来ません。
当社のセラピストを旅館に派遣してもお客さんがいないので、
3月の寒い中、雪が降っていてもエンジンをかけたの車の中で5時間待たされることもありました。
そこまでしても収入はゼロです。
切り詰めるところは切り詰め、本社の社員の給料を半分にカットしました。
社員には転職しても構わないと言いましたが、みんな残ってくれました。
価格を下げることで旅館の客数は半年で戻りましたが、単価は戻りませんでした。今現在は回復しています。
大手企業のように設備投資は出来ず、エリアによっては助成金もおりないので、東北の観光業は厳しかったですね。

新たなプログラムと今後のビジョン

ウェルネスプログラムという、ひとりひとりに合わせた食事、運動、施術の連泊型パーソナルプログラムを提案していく予定です。
健康管理等のプログラムを組めるソフトを持つ会社の社長と知り合いでして、
お互い予防医療をやりたいと考えているので、意気投合しました。
旅館なら食事も摂れるし、スペースを頂ければエクササイズもできる。
場所によってはゴルフ場やクアハウスも併設しているので、プログラムにぴったりなんです。
自社のセラピストがウェルネスプランナーとなることで、ドクターや栄養管理士を雇わずに行えるのがウリですね。
プログラムを終えて帰宅してからの2~3ヵ月のホームケアもサポートすることで、リピートに繋げていきます。
その時々の体質でプログラムを変えるので完全なリピート力を得られます。
旅館としても差別化ができるので、引き合いが多いです。
サロンはメーカー直営で、使用するコスメは国産の自社製品ですので、直接マーケティングを取れます。
今年は工場の化粧品、アロマサロン、ウェルネスプログラムの提案を行い、
より美容と健康に強くフォーカスしていこうと考えています。

具体的には、2015年までに25店舗に拡大し、年商を10億円にするのが目標です。
ランチェスター戦略を根底においてやっているので、まずは東京周辺リゾート地を固めていきたいですね。
一番大変なのは、20店舗に増やすまでだと言われています。
20店舗から30店舗に増やす時には知名度が上がってくるので、求人も集客も少しずつ楽になり始めると言われているのですが、
特に当社は難しいリゾートなので知名度は大切にしていきたいですね。

これからの展開

将来必ず展開しようと考えているのは、スポーツ時、スポーツ観戦時に使用できるスポーツコスメです。
例えば、マラソン時に身体を暖めるためのホットクリームというものがあるのですが、あまり存在は知られていません。
これは唐辛子の成分が入っていて肌が弱い方には向いていなかったりするので、別の成分で製造する等の工夫ができますね。
それから、ワールドカップやオリンピックの観戦時、
シュシュっと吹きかけられる小さなアロマミストのボトルを女性のために作るとか……
個人的にスポーツが好きというのがやはり大きいですね。
次のオリンピックはブラジルでの開催なので、ブラジルのブランドは流行りますよ。
提携して何か出来たらいいなと思います。
あとはペットアロマですね。海外ものは高く、ニセモノが多い。
OEMで製造しているものですが、静養成分のあるアロマを使用した肉球クリームが人気です。
お子さんがいらっしゃらない方は、ペットにお金をかけてわが子のように可愛がる方が多いです。
商品を作るというより、市場を作っていきたいです。
少子高齢化の時代なので、エクササイズやスポーツ、健康に携わることは確実に注目されますね。

株式会社 要 代表取締役 田中恵次

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代表取締役 田中恵次

代表取締役 田中恵次

設立 2010年7月
事業内容
  • ソフトウェア開発
  • ITアウトソーシング
  • WEB製作
会社HP http://kanamekey.com/

タイミングがきたかなと使命を感じ独立

ソフトウェア開発やウェブコンテンツ制作、アウトソーシングサービスなどの事業を展開する
「要(かなめ)」という会社を2010年7月に設立し、今年で3年目になります。

会社を始めたきっかけは、一言でいうと「なりゆき」です。
なんか、やる気なさそうに感じますが(笑)、自然体というか、流れを大事にしています。

会社設立前は、ソフトハウスで当初エンジニアとして、その後は営業として
勤務していましたが、たまたま独立できるチャンスが訪れました。
周囲もビックリするような、即断即決でした。
所属していた会社の社長が応援してくれたこともあり、
会社から一部事業を引き継ぐ形で、独立を決めたのです。

規模は小さいながらも、前職のつながりもあったおかげで
最初から顧客もいて、ラッキーだったと思います。
大きな投資が必要で、一度コケたらその後の人生に左右する、というような
イチから立ち上げる起業ではないし、やれるという自信はありましたね。
「どうやって飯代を稼ぐか」を考えつつ、
今までの経験でなんとかなるだろうという感覚でした。

離れていく関係 切り開く関係

とは言っても、会社を辞めた翌月からの新会社スタートは今思えば、
ちょっと急すぎて、最初の数ヶ月は苦労しましたね。
それまでの「会社」単位の信用がなくなった分、
中には「契約を見直させてもらう」と離れていく関係もあり、
営業先は自ら「切り開いていく」という感覚に変えざるを得ませんでした。

最初は大変でしたが、でも結果的には良かったと思っています。
立ち上げてから出会えた縁もあるし、
やりたいようにやれる社長としての醍醐味を感じています。
会社勤めをしているときは、トップの判断や社内のしがらみなどで
実現できないこともありましたが、今はすべて自分の責任。
責任をとる義務はありますが、思うとおりに動けています。
また、エンジニアの方々が「田中さんがそうするならじゃぁ一緒にやります」と
ついてきれくたのはありがたかったですね。

会社を立ち上げて3年。
現在、社員は総勢8人で、少しずつ会社らしくなってきました。
最初はがむしゃらで、1年目は私一人、2年目は営業を入れて二人、
3年目は営業とエンジニアを入れて、組織としての形が整ってきました。
土台づくりができたので、次は中長期をどうするか、
社員からも今後の方針を求められるようになってきています。

人間らしさ、取り戻す“再生工場”

目指すのは、社会に役立てる企業になること。
社会貢献といってもいろいろありますが、特に力を入れたいのは、「人の命を救う」こと。
今、日本の自殺者数は毎年3万人と言われますが、特にIT業界はウツが多い。
その原因としてさまざまな課題がある中で「生きづらさ」を感じている人達を
自分の武器であるITでなんとかしたい。
彼らが希望を持って、社会に戻れるようなきっかけをつくっていけたらと思います。
その延長で依存症対策も取り組んでいきます。アルコール依存とか薬物依存とかですね。
日本では問題視されていませんが、ワーカホリックも立派な依存症です。

大手の企業などは、社員のメンタルヘルスのケアなど“予防”に取り組んでいるようですが、
すでにウツや依存症になってしまった人をどう社会復帰させていくか、が私のテーマです。

エンジニアの中には、技術を持っていても、
人間関係のちょっとしたボタンの掛け違いから病んでいく人は多いものです。
でも、仕事ってスーパーマンを目指さなければ、
その人ができることをこなしていくだけで十分な役割を果たせるものだと思います。
それが適材適所でしょ。使う側の問題もあると思いますよ。

病んでしまった人が、一度パソコンから離れて、
沖縄でもベトナムでもカンボジアででも畑作業をやったり太陽の下で暮らしてみたり、
いわゆる人間の原点に帰って人間らしさを取り戻してからまた仕事に戻る、
“再生工場”みたいなものができたらと考えています。
きっかけひとつで人間は変わりますから。

世の中をより便利にするスマホ向けアプリの開発を

そのために会社として力を持たないといけません。
2013年は10人採用が目標で、次の1年で20人。
10人増やすとなると、エンジニア8人、営業一人、事務一人。

事業の特徴は、柔軟性のある“IT系なんでも屋”だと思っています。
いろいろなメーカーのハードウェアやソフトウェアを組み合わせた「オープン系」のシステムも、
ネットワークやサーバーの構築・運用などを行う「インフラ系」の業務も、
なんでもやって、自社サービスにつなげていくことを視野に入れています。
世の中の問題ごとをひとつでも解決できるキッカケを当社で取り組められればと思っています。
「こんなのあるんだ、便利! どこの会社? カナメだって!」と話題に上るものを出していきたい。
来期中にスマホ向けのアプリを出したいと思っています。
ゲーム系ではなく、世間に対してもっと有益な、
仕事で役立つ便利ツールみたいなものをつくりたいですね。

目の前にあるものを一つ一つ

今後はどう会社をまわしていくかを考える必要がありますが、
変化の早い時代ですから、あまり先のことを詳細に計画するのでなく、
各フェーズに合ったアイデアを出していきます。
これまでを振り返ると、1年ごとにやれることが大きく広がっていて、
そうなると銀行も「がんばってるから金貸そうか」と言ってくれて、
さらにできることが増えていきます。
筋道を立てることも大切ですが、一つクリアした先にあるステージで見える1年は違う。
方向だけ間違わずに進むことに注意しつつ、
その場その場をちゃんとこなしていくことが大切だと思います。

就職活動中の学生さんに伝えたいこと。
それは、企業側は「学生が今どんなスキルを持っているか」を
それほど重要視していないということです。
スキルを前面に出す方でも、入社後に何ができるかは明確に意識してください。
「今までこんな経験があるから、会社に入ったらこんなことができます!」という一貫性が必要です。

あと、仕事って、業務を通して経験を積んで覚えていくものですから、
「今は何もできませんが、これがやりたい!今後どうしたい!」を主張できれば十分じゃないかな。
その思いをキチンと伝えてほしいと思います。

株式会社ジーニー 代表取締役社長 工藤智昭

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代表取締役社長 工藤智昭

代表取締役社長 工藤智昭

設立 2010年4月14日
事業内容
    • インターネットメディアの広告収益最大化プラットフォーム「Geniee SSP」の開発・提供
    • 広告主・広告代理店のマーケティング支援サービスの提供
会社HP http://geniee.co.jp/

学生起業をするも、キャリアプランを考えて大手企業に就職

私は学生時代に、SEO関連の事業で起業していました。
学生の身分なら、失敗しても就職という道があるので
今考えると気楽にやっていたと思います。

事業そのものは、それなりに利益も出ていたのですが、ある日ふと
「会社ってなんだろう」「僕の人生はどうなるのか」と思いました。
ベンチャーと名乗る会社は、世の中に無数にある、
このままでは、それら「無数」の中に自分は埋もれてしまう、と。
そうならないように、何かインパクトのあることを手がけたかったのですが、
学生の身分では難しいのが現実。

そこで、組織の作り方などを学ぶために選んだ就職先がリクルートでした。
どうしたら売上高100億円の会社を作れるのかを知りたかったのです。
当時はまだ、若手起業家が学べる場などなかったので、
「まずは一度、大企業で働いてみよう」と考えました。
リクルートでは、新規事業の部署に配属され、2年目には事業責任者に。
自分が立ち上げた事業が大きくなるにつれて、
組織の動かし方など、マネジメントも分かってきました。

再び起業するタイミングがやってくる

リクルートで手がけていたのはネット広告。
私は学生時代にやっていたSEO関連の事業を通して
インターネット広告の面白さを知っていたので、やりがいある仕事でした。
しかし新しいものを追えば追うほど、もっと自分の裁量で
プロダクトを作りたいという気持ちが強くなります。
そんな時に知ったのが「RTB」(Real-Time Bidding、リアルタイム入札)と呼ばれる
ディスプレイ広告の新しい技術。
その時に私は「これだ!」とひらめいたのです。
「イノベーションを起こす」「グローバルな事業を手がける」という
私の目標を達成するにはピッタリだ、と。
まさにその時が、私にとっては起業のタイミングでした。

RTB事業を始めてからは、何度も苦しい思いをしてきました。
売り上げ目標も楽に達成できたことなど、ほとんどありません。
しかし苦しいからこそ皆が工夫をして、その結果、壁を乗り越えられるのです。
創業期からのメンバーは、そのような成功体験があるので、とても強い。
どんな時でも、自分たちの努力で越えられるという自信があるからです。

常に高い目標を掲げることで、イノベーションをも目指す

私たちの当面の目標は「年250%成長」です。
かなり大きな数字ですが、まだ力を出し切ってはいないので、
このくらいの目標であるべきなのです。
設定された目標と、現状のギャップを埋める努力が、
イノベーションにもつながっていきます。
250%成長のためには、より大手のお客様との取引も必要。
それにより、自分たちの組織にもプロダクツにも目線が上がるのです。

目指しているのは、日本の中で圧倒的な強さでナンバーワンになり、
アジアへと展開すること。
ただし、それほど急いでいるわけではありません。
海外展開に関しては、まずは現在の事業を黒字化してから、
具体的に取り組んでいく予定です。

海外で展開したいのは、自分たちで作ったプロダクト。
グローバルで通じる商品があって初めて、グローバル展開ができると考えています。
そして、アメリカ発のアマゾンやグーグルのような、
日本発のテクノロジー企業を作り出す。
これが10年20年の長いスパンでの当社の目標です。

優秀な人たちと一緒に働くことで、より早く成長する

当社が求めているのは素直な人です。
先輩方のアドバイスを、まずはしっかりと聞く。
それができる人は成長が早いですよ。
職種で言うと、営業系の人は目標を高く設定することも大事。
開発職は、スペシャリストとして自分のペースを貫いても構いません。
技術を磨き、追求していくのも重要ですから。

当社には、若くして取締役やマネージャーを務めている社員もいます。
その人たちを見て「すごいなぁ」と思うのではなく、
「自分もそうなれる」という気概を持ってほしいですね。
自分もそのポジションにいけると思っていないと、一社員で終わってしまいます。

私自身の経験から言えるのは、優秀な人たちと一緒に働くと、
毎日が、そして仕事のひとつひとつが楽しくなるということ。
優秀な人には、圧倒的な当事者意識があります。
あれがダメ、これがダメと言っているだけではなく、
どのようにしたら良くなるのかというレベルで、議論もできるのです。
また、他人への配慮ができるのも、優秀な人の特徴。
一緒に働く人に気配りができる、尊敬の念を忘れない、
ひとりで抱え込まず、他の人に任せることもできる。
仕事のスキルや能力だだけではなく、これらも重要な素養だと私は考えています。

学生へのメッセージ

学生の皆さんには、1つのことにこだわり過ぎない方がいい、と言いたいですね。
新卒の段階では、世の中について本当の部分は分かっていません。
それなのに就職するまでの間に、やりたいことを固めてしまうと、
入社してからギャップに苦しむことも多いのです。
また、実態と違っていた時に、自ら逃げ場のない状態にすることにもなります。

私が就職する時には、本当にやりたいことが見つかるのは、
30代になってからでも構わないと思っていました。
それまでに多くの経験を積み、やりたいことが見つかった時に、
やり遂げられる実力がついていればいいのです。
若い時はどんどん成長するので、選択肢を狭めてはいけません。
長期的なスパンで物事を考え、計画を立てて頑張ってください。


株式会社ウェイビー 代表取締役CEO/CMO 伊藤 健太

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代表取締役CEO/CMO 伊藤 健太

代表取締役CEO/CMO 伊藤 健太

設立 2010年8月27日
事業内容
    • 独立・集客・経営コンサルタント業務
    • 士業向けのマーケティング、経営支援事業
    • 法人設立支援(株式会社、合同会社、一般社団、財団、NPO法人)
    • 起業家向けイベントの企画・開催
会社HP http://wavy-inc.com/

バランス感覚を大切に

ウェイビーのメンバー全員集合!

小学校時代、私はさわがしいリーダータイプでした。
一番運動をして、勉強ができなくても手をあげる目立ちたがりでした。
ただ、ふつうのガキ大将と違い、嫌われたくない、みんなに好かれたいという思いがありました。

小さい頃に両親が離婚し、家に帰っても誰もおらず、親もなかなか帰ってこない。
学校に行ってまでさみしいのは嫌でしたから、
クラスで嫌われたくない、自分のクラスはいいクラスにしたい、と子どもなりに考えていたように思います。

高校や大学時代でも、文武両道、人間性、面白さ、の三つを追求していました。
ただのスポーツマンではなく、勉強も人付き合いも全部負けたくない。
バランス感覚を重視していたというか、欲張りというか。
就職活動でも、「自分の長所はバランス感覚が優れているところです」といったことを言っていましたね。

政治家になるためのキャリアプラン

就職活動の軸はシンプルで、自分が「日本を代表する何か」になれる環境かどうか。
政治家になりたいというのが頭にあり、そのためにはまず人間力。
特に論理力や構成力が大切だと考えていました。

たとえば医学部を卒業して医者になるよりは、世界を放浪し、
いろんな地域で悲惨な状況を見た人の方が、問題意識を持って医者としていい仕事をすると思うんです。
政治家になるためには、社会の最前線を経験する必要があるだろうと。
そこで経営コンサルタントを目指し、コンサル会社でインターンをはじめました。
その会社から内々定ももらえたのですが、次第に、誰も彼もお金の話しかせず、
売り上げ重視なのが自分には合わないと感じ始めました。

さあ、どうするか。
そもそも政治家は、官僚か芸能人か、弁護士が多い。
私は弁護士ルートだ。そう考え、ロースクールに行くことにしました。
ロースクールに行くため、お金を稼ぎつつ勉強時間が確保できる会社を探した結果、
大手損害保険会社に就職しました。

病気による価値観の変化

ロースクールに入るためとはいえ、働きながら毎日勉強すれば、当然疲れがきてしまいます。
体調を崩した私は、病院で精密検査をしてもらいました。結果、大腸にポリープが。
最終的に大事ではなかったのですが、当時は死ぬなと思いました。

これはロースクールに行ってる場合じゃないと。
自分には時間がない、なら会社を建てようと考えました。
小学校からの友達三人と、将来何か一緒にやりたいね、と話していたことが浮かんだんです。
ありがたいことに、一緒にやろうとみんなが言ってくれました。
それぞれ仕事もはじめていたのに、感謝の気持ちしかありません。

死ぬと思ったとき、価値観が変わりました。お金とかはどうでもいいから、
世の中を良い意味で変えたいと考えるようになったんです。私の場合、その手段が起業でした。

事業スタート、しかし・・・

最初から明確な事業ドメインがあったわけではなく、会社はできた、さて何をやろう、といった具合のスタート。
飲食店向けのクーポン、中古自転車を直して再販、
外国人留学生の就職支援などをやってみたのですが、事業化には至りませんでした。
軸が定まらない自分たちの力のなさを痛感する日々でした。

当然、売り上げはゼロ。いよいよ追い詰められた時に、私がたまたま持っていた行政書士の資格を活かすことを思いついたんです。
この時にようやく、「起業支援」という自分たちの軸が定まりました。様々な会社設立に関わる中で、世の中をよくしたいという多くのお客様の考え方に触れ、改めてビジョンの大事さも感じました。自分たちの「日本を起業しやすい国にする」という、ビジョンを見据えた仕事ができるようになってきたのです。

事業は全体像で考える

自分たちの行政書士事務所が業界で地位を確立できたのは、旧来的な行政書士を反面教師にしたからだと思っています。
要はシンプルで、既存のものをさらに良くし、さらに安くすればお客様は来る。
現在の主事業は、このノウハウを活かした士業向け独立支援なのですが、
今後は、そのノウハウを士業以外へも広めていきたいと考えています。
朝活事業やビジネスコンテストの運営など、動き始めているものもあります。

具体的には、まず行政書士事務所でお客様の起業に関わり、
その後、マーケティング支援、ウェブ制作、朝活やビジネスコンテストに参加してもらう。
企業コミュニティもたくさんできてくるので、交流会も運営できる。
すでにこれらの仕組みはできているので、
あとはこれを広げるための仕掛けを、どのタイミングでするかですね。
あくまで一例ですが、自分たちが立ち上げを支援した行政書士事務所が、
フランチャイズとしてこれらの運営に関わってくれるような働きかけもしていく予定です。

目の前の仕事を五倍やれ!

学生の皆さんに伝えたいことは、人生、能力よりも精神力勝負ということ。
スキルは、欲しいと思ったときにいつでも身に付けられますし、中途半端なものでは邪魔になりかねません。

さらに、自分は何になり、何をなすべきか、といった個人的な使命感が大切だと思います。
そこさえ見えれば、あとは進むだけですから。
ただ、やるべきことが見つからない人も多いはず。
それなら何も言わず、「目の前の仕事を五倍やれ!」と思います。
会社の悪口を言うとか、外部環境のせいにするのは簡単ですが、何の解決策も生みません。
そもそも、自分で選んだ会社なのに悪口を言うなんて、
どれだけ責任感ないのか、自分でよくしようとは思わないのか、という話です。

目の前のことを一生懸命やらないと楽しくない。
いい循環に入らない。最初から転職ありきでは、絶対身に付かない。
決めたことは必ずやりきるべきです。
目標がみつからない人は、仕事先で一番になるつもりで働けば、絶対に変わると思います。

株式会社シンバス 代表取締役社長 榛葉 壮士

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代表取締役社長 榛葉 壮士

代表取締役社長 榛葉 壮士

設立 2010年
事業内容
  • 業界特化型ポータルサイトの運営
  • 検索エンジンマーケティング
  • WEBサイト制作
会社HP http://www.shinbus.jp/

経営者は究極の自由

起業を考えたのは大学4年生の時でした。
完全に受かる気でいた広告代理店に、一次で落ちてしまったことが一つのきっかけですね。
その会社を受けた理由も、
その業界のイメージが格好いいからとか楽そうだからといったもので、大した動機ではなかったのです。

その会社に落ちてしまって初めて、これからどうしようか、自分は何をしたいのかと考えるようになりました。
そこから仕事というものを知る為に、インターンで東京に出るようになりました。
しかし、そこに楽しさを見出せずに結局就職を決める事はできず、このまま就職浪人かな、などと考えていたのです。
そんな時『金持ち父さん貧乏父さん』という本に出会い、
今までの自分にはなかった「経営者になる」という選択肢をはじめて知りました。

それまでは教育学を専攻していたこともあり、教師になるかサラリーマンになるかしか考えていなかったのです。
そのような自分にとって、経営者という選択肢は完全に新しいものでした。
経営者になる事が究極の自由なのだと、その時に気がついたのです。
今でも自由な人生、後悔のない人生を生きたいという想いが自分の中でとても強いですね。

後悔しない人生への決意

大学一年生の夏頃、初めての単身海外旅行でインドに行ったのですが、その時に拉致されるという経験をしまして。
そこで死に直面して、本当に死ぬかもしれないという思いをしました。
その時に死ぬ前にやり残した事を考え、とても後悔したのです。
何故好きな人に好きと言っておかなかったのだろう、
何故もっと人に感謝していなかったのだろうなど、本当にいろいろ後悔しました。

仕事に関しても同じ事で、どこの会社でも入れればいいなんて考えるのではなく、
やはりモチベーションを保てる所でなくてはいけないと思うのです。
後悔せずに自分がやりたい事をするには、やはり稼がないといけないので。

そして経営者として成功する事は、同時に人の記憶に強く残るという事でもあると思います。
自分が死んだ時、より多くの人に泣いてもらいたいじゃないですか。
その為に記憶に残るような偉大な経営者になろうと決めたのです。

想いと現実とのギャップ

経営者という選択肢を得てから、自分が出来る事は何かという事を考えたのですが、
自分に出来る事というのは喋る事位しかなかったのです。
しかし、その事が活かせる営業はやりたくなく無かったので、
短期間で営業力を身につけられる場を求めていました。
早めに辞めて企画やマーケティングがやりたいと思っていたからですね。

そんな時、偶然京都で7,8人のバイオ系ベンチャーの説明会が行われていたのを見つけました。
そこはまだ研修体制なども確立されていなかったので、教わることが嫌いな自分には丁度よく、
そこで早く営業力を身に付けようと考えたのです。
しかし、そこでの仕事は思っていたものとは少し違っていて、
一応営業ではあったのですが糖尿病に効くエキスを食品会社などに売るというものだったのです。
商品化するための時間も必要なこともあり、半年間ほど全く売れなかったので
完全に自信を失ってしまっていたのです。

営業力が上がった実感も無いまま悩んでいましたが、追い討ちをかけるように、
「榛葉は営業からはずす」と言われ、さらにバイオ系ベンチャーと して3~4年後には
上場できる会社だと思っていたのですが、
「糖尿病に効く薬ができれば可能性があるが、薬になるのは何十年か先の話だ」と聞いて愕然とし、
その会社を10ヶ月ほどで辞めることを決意しました。

起業か役員か

その後は東京に出て人材派遣のベンチャーでアルバイトをしました。
そこで、しっかり営業をやろうと思ったのですが4ヶ月で会社が潰れてしまい、
次の転職先のGMOインターネットには「この会社を辞めるときは起業するときだ」と決意して就職しました。
サラリーマンとして最後だからこそ、とにかく出世したいと思っていて、
責任ある仕事について、多くの経験をしたいと思っておりました。

そして営業として結果を出し、2年半後には、最年少営業本部長に抜擢いただいて、
3人で新たな部署としてスタートしました。
最終的には60人程の部署になり、その間に多くの失敗をし、
逆に自分のビジネスアイデアが形になり、世の中に広がっていく成功体験もできました。

ひとつの区切りが来たなと感じたときに、
ここから先は、役員を目指すか起業家になるかのどちらかだと考えました。
しかし、どちらが後悔せず夢のある人生かと自問自答した時に、起業することに決めたのです。

起業して数年たった今思うことは、経営者と管理職との「心のあり方」の違いは感じます。
管理職であったときは、自分の将来のため、同じ組織の仲間のため、会社のため、を考えていました。
ですが、経営者として今は、世の中に大きな変化、
革新をもらたらすため、その大きな夢を仲間と分かち合うため、
と考えるようになりました。
世の中に必要とされる会社になりたいと強く思います。

全てのニーズに全ての答えを

自分の中では、最終的に全てのニーズに対して全て答えるという事を考えています。
一つのニーズとして検索が挙げられますが、検索とは何か聞いてくるという行為ですよね。
Googleなどはニーズに全て答えているのではなく、ただ並べているだけです。
「渋谷 パン屋」と調べても「渋谷のパン屋だとここがお勧めだよ」という事を全て答えられてはいないのです。
それに対し私達は分かり易く、全てを答えるという事を目標としています。

同じ様な事をしていらっしゃる他社との違いは業界全体ではなく、
質問をする人、一人一人を考えて答えたいという所。
たとえ一人しかその事を質問しなくても、それに対してどうにかして答えられないかという事を考えています。

一人一人に対して、答えを返していくことが、
必然的にオンリーワンのサービスを創り出すことにつながっています。
お客様もだからこそシンバスを選んでくれているのです。
一日でも早く、世界中の一人一人の想いに答えられる会社になりたいと思います。

今後の展望と学生へのメッセージ

会社のビジョンとして「世界一創造に挑戦する企業」という言葉を掲げています。
一人一人の細かい質問に、本の様な良質な回答をする。そんな「超ニッチ企業」を目指していますね。
海外においても同じスタイルで言語に合わせたマーケットを確立させられたらと考えてはいますが、
まだ国内での成長が目標です。
今は営業15,6人ですが、2年以内に50人に増やしたいところですね。

学生の方には、「うちに来て」と言いたいところなのですが(笑)
自分の能力を最大限伸ばし続けたい人、そんな人がベンチャーには向いているでしょうね。
よく僕が使う言葉に「茨の道は薔薇の道」という言葉があります。
足元がどんなに厳しく痛い道であっても、その茨が多いほど、目線を上げればそ
こには薔薇色の人生が広がっているはずです。
だから、若い人は是非厳しい道を歩むべきだと考えています。
その為、大変な場所で働くことを勧めますし、
その一つとして、うちの会社は十分に該当するのではないかと思いますね。

株式会社コンフィデンス 代表取締役/CEO 齋藤 隼

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代表取締役/CEO 齋藤 隼

代表取締役/CEO 齋藤 隼

設立 2010年5月27日
事業内容
    • 電気通信事業法に基づく通信事業者の代理業務
    • インターネットを利用した各種情報提供サービス
    • 情報処理サービス
    • 通信事業者の代理店向けのコンサルティング業務
    • 前各号に付帯する一切の業務
会社HP http://confidence-01.com/

根拠のない自信が、自分を支えた。

学生の頃から、経営者、社長に対して強い憧れを抱いていました。
昔は、根拠のない自信だけは持っていて、自分は将来絶対「トップ」になれる、と信じ切っていました。
そこで、具体的に何でトップになろうかと考えたとき、まずは経営者になろう、と決意したのが、
経営者を目指そうと思ったきっかけです。

経営者になった今でこそ、この役職が計り知れない苦労が伴うことが理解できるようになりましたが、
子供のころは、目立ちたいという思いと、
経営者はお金持ち、とても偉い、という先入観による憧れの対象でしかありませんでした。
最初は社長になりたいことに特別なエピソードや理由があったわけでもなかったですが、
どこかで社長になれるという根拠のない強い自信だけはありましたね。

子どもの頃夢見た、一等賞。

最初の仕事は電話営業です。アウトバウンドのテレマーケティングを行っている会社で、
私も連日のように電話をかけていました。
アウトバウンドのテレマーケティングは非常に難しい手法のひとつでありますが、
いざやってみると、入社初月から好成績を残すことが出来ました。

当時は、新人の中で一番とか、会社で一番とか、業界で一番とか、日本で一番とか、
とにかくよい営業成績を残すことにしか興味がありませんでした。
子供の頃目指していた「トップ」という座を、営業という形で成し遂げることが出来たのです。
当時、働いていた時の雇用体系はアルバイトで、正社員になるということに対し、
束縛されるという感覚があったことから、あえて避けていました。
しかし、その後、訪問販売へ転職したとき、初めて正社員になることを経験しました。
この時も社内でトップの営業成績を収めることができたため、20歳の時に独立を決意するも、
結果的にその事業で大失敗する事となってしまいました。
当時は、信念も理念もビジョンもなく、経営者には程遠いただのトップセールスマンの思考でした。
とにかく数字をあげていれば問題ないという浅はかな考えで経営を行っており、
結果的に売り上げが上がらなくなった瞬間から共同経営者との関係も全く上手くいかず、
結局解散となり経営から一度手を引くこととなってしまいました。

社長業、リベンジ。

その後、ご縁があってフランチャイズの加盟店開業の営業として転職する事となり、そこで多くの経験を積みました。
入社当初こそ、どうやって売るかというような営業手法にしか目が向いていなかったのですが、
そこで学んだのは、仕事に対する姿勢や考え方、人への接し方といったなど、根本的な人間力を学びました。
数字さえあげていればいいというような未熟な営業マンでしたが、
一人の人間としての在り方を考えさせられるような、そんな貴重な経験をたくさんする事が出来ました。
そこで人間力をベースに営業スキル・経営のノウハウを猛勉強し、
それを実践することが出来たと感じられた時、もう一度起業をしようと決心しました。
当初は、転職先と同じ、フランチャイズ加盟店開業事業で独立しようと考えましたが、
当時の社長から『お前がフランチャイズ業界を本気で盛り上げたいと考えているなら何も独立しなくても出来ることだ。
もし、起業してお前が自分の力を社会で試したいのなら他の業界を盛り上げて来い』と
最後のアドバイスを素直に受け止め、現在の通信業界でリベンジする事にしました。
今思えば、私はとてつもない人格者の方々に育ててもらったんだと、今更ながら実感と感謝に溢れております。

今後の展望

当社では、全社員が「成りたい自分になる」という理念を掲げて働いています。
現在は大手通信会社の代理店業を主な業務としておりますが、
もちろんこのまま現行の業務だけで経営していくつもりはありません。
大前提に全社員の『成りたい自分になる』を掲げているため、
現行の業務は成りたい自分に成る為の過程のひとつでしかないのです。
だから、会社の展望などで将来どのような事業をやっていくのですか?などと聞かれることがありますが、
その答えはありません。
事業単位が当社のゴールではなく、真のゴールは『全社員の成りたい自分になる』事が当社の理想郷です。

社員が新しい何かを生み出したい、新たな取り組みに挑戦したいなど要望があれば、
その事自体が当社の事業に変わるのです。
各社員の挑戦こそが当社の輝かしい展望なんです!

社員の想いが、会社を創る。

当社は、営業マンに対して、営業ノルマを課していません。
それは、会社をどう作っていくかという展望と、個人としての目標は別軸であると考えていて、
個人によって、仕事に求めるもの、モチベーションも違う中で、均一な目標を設定し、
同じマネジメントで対応しようとしても通用しないと考えているからです。
会社に対して高い収入を望んでいるのなら、きっと多くの数字をあげるでしょうし、
家族が生活するのに困らない程度の収入でいいのであれば、適度なペースを保って仕事に取り組むはずです。
個人にあったマネジメントを実施することで、離職率も軽減出来ると当社では考えております。

それと当社には、頑張る人を馬鹿にしたり邪魔したりする習慣はありません。
私も以前に感じた感覚ですが、頑張れば頑張るほど周囲の視線が冷たいという事。
小規模の会社だからこそ、一人一人の責任感は計り知れないものがあります。
例えば、突然の退職や手抜きの業務などなど、当社には皆無です。
アルバイト、社員、役員、全員が同じレベルで会社を創っていると言っても過言ではありません。

成りたい自分への階段

成りたい自分になるというのは、万国共通の意識だと思います。
成りたい自分が思いつかなければ、成りたくない自分を考えて、そこから遠ざかっていくのもいいでしょう。
夢を描くのなら、私のように根拠がなくてもいいので、「必ず叶えてみせる」という強い信念を持つべきです。
夢とはいきなりは成就するものではありません。
強い信念のもと、日々の小さい事の積み重ねが、あなたをとんでもない所へ連れて行ってくれるはずです。
成りたい自分になるには、小さな成功体験の積み重ねが必要不可欠なのです。

人生は辛い事の方が多いと思います。楽なんて私の中には存在しません。死ぬまでがずっと勝負です。
逃げ出さずにきっちり人生と向き合い、勝負をして欲しいものです。
最後になりますが、最終的には全世界の人々が成りたい自分になれるような、
心豊かな世界を創造していきたいと考えておりますが、先程伝えた通りいきなり夢は成就しません。
まずは当社の大切なメンバー全員が『成りたい自分』になれるよう最大限サポートしていきたいと思います。
私の成りたい自分像とは『成りたい自分になりたい』方々を一人でも多く輩出することです!!

株式会社ホットココア 代表取締役社長 永上 裕之

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代表取締役社長 永上 裕之

代表取締役社長 永上 裕之

設立 平成15年10月
事業内容
    • 男性服の通販サイト運営
会社HP http://mensfashion.cc/

得意な事と、向いている事

中学高校と制作したWebサイト数は150以上。
私は、そんなインターネット大好きという少年時代を過ごしてきました。

私が高校卒業後に選んだ進路は、テレビの専門学校。
インターネットの世界と映像の世界をつなげたいと考えていまして、
知識が足りないなと感じていた映像の分野を学ぼうと選んだ進路でした。
ここではじめの1年間は映像分野の勉強、
2年目はフリーでWeb制作を行い半年ほどで就職の時期となりました。

その頃に声をかけていただいたWeb制作会社にデザイナーとして就職しましたが、
ここで私が取り組んだ仕事は、今まで経験していない営業職でした。
しかし、そこでの仕事は予想していたよりも出来がよく、
自身が営業向きであったと初めて知ることになったのです。
学生時代は世界が狭いので、得意だ、人より優っていると思っていた事が
実際はそうでもなかったという事もあるのです。

この会社に1年ほど勤めた後、縁があり2度の転職を経験します。
そして、2010年の4月に起業に至りました。

「夢の時間」と後輩への想い

起業を決意した理由は2つあります。

「夢の時間」を取り戻したい。その思いが一つ目と言えるでしょう。
営業に向いているとはいえ、私が本来やりたいことは、やはりWebサイト運営でした。
その大好きなWeb制作に費やしている時間を私は「夢の時間」と呼んでいます。
その様な、好きなことに没頭できる時間、
夢中になれる時間をもう一度手にしたいと考えたのです。

そして二つ目には後輩を応援したいという想いがありました。
当時の景気の悪さに、若い人が起業を考えようとしないという事に私は危機感を感じ、
そんな人たちを元気づけたいと考えたのです。
「起業しよう」と考える後輩を応援したい、
元気づけたいという想いがそこにはあったのでしょう。
大学全入時代といわれながら、その道を選んでいない私でも
起業する事が出来るのだ、と後輩たちに思ってもらえるといいですね。

ここに挙げた「夢の時間」を取り戻す事、
後輩を応援したいという想いが私を起業へと導いたのです。

大きな方向転換

今までの会社の方向性とは違い、今はアパレルサイトの運営に力を入れています。
いわゆるピボット(方向転換)という物を我が社は経験したのです。

これまでの私の人生を振り返り、音楽でたとえるとするならば、
14歳でギターを持ち(Webサイト作成)、19歳で初めてバンドを組み(就職)、
インディーズデビューしたという事が23歳(起業)になるのでしょう。
こう見ていくと、「このバンドでは売れない」そう判断したのが、
まさにピボットを行った25歳に相当するのだと思います。
メジャーデビューするにはこのままではいけないと感じ、
お客のニーズに合わせた物を提供する事、つまり売れる物を作ることに決めたのです。
その中では、自分のやりたい事を捨てていいのか等の葛藤はありましたね。

私がやりたかったものはSNSの分野だったのですが、周りとの競争が特に激しい分野でした。
そうではなく共存しながら、今までの経験を活かせる分野へと切り替える事を決めました。
それと共に、人を劇的に変える事を扱いたいと考え、アパレル業界へ入ることを決めました。

経験の点を結ぶ

今運営しているサイトでは、服装の上下の組み合わせパターンが決まったものを買う、
いわゆる「マネキン買い」という事が出来るようになっています。
この「マネキン買い」はお客様に「楽さ」を提供していきたいと考えています。
今、この「マネキン買い」を押し出して運営を行っているのですが、
この方法等を中心に、我が社の今が形作られた経緯には、
今までの私自身の経験・経歴が大きくかかわっています。

学生時代のWeb経験、そして音声や映像に関係する経験、マスコミ関係の経験、
デザインの経験、制作会社や営業の経験、そして起業の経験。
これらの経験の点がすべてつながって線になった状態がまさに今なのです。
例えば、私たちの様なアパレル関係の小売業を行っている会社には、
あまりITやマスコミからの視点は取り入れられません。
そんな中、そのような経験がをもととなり「マネキン買い」の発想が生まれました。
どの様な経験が実際に役立つのかは未知数なのです。

経験をしている当時は考えなかった利用法が、
後になって生まれてくるという事があり、経験の大切さを知りました。

これからの目標

今後は、スマートフォンでの服の買い方を考えていこうと考えていますね。
お客様にとってスマートフォンで服を売ることはなかなか難しく、
情報が伝わりにくいという現状があります。
そこを打開するために、映像や実際に着ている生活の場面を
見せていけるようになる事を目標にしています。
見せ方という物の工夫を行っていきたいのです。

それに加え、ファッションに詳しくない人、
服を積極的に買わない人であっても、服の選び方や買い方が自然と分かり、
考えていきやすい環境をサイトの中で作り出せるようにしていきたいとも考えています。
その事にも関連して、我が社の「マネキン買い」のコーディネートは、
プロのコーディネーターが選ぶような敷居の高いものではなく、
現役の女子大生が選ぶコーディネートにするといった工夫をしています。
プロに認められるよりも、周りにいる実際の人間に認められる、
消費者の目線を売りにしていきたいと思っています。
そのコーディネートも500パターン用意できるようにしたいのですが、
在庫の関係もあり難しい所です。

熱意をもって大人になる為に

自分自身を振り返ってみて、
早い段階で起業へ意識を向ける事が出来ていたのではないかと思います。
その目標に必要な事として、売り上げを伸ばすため、
社会的貢献度を上げるため等、やった方がいいと言われる事は様々にあると思います。
しかし、今の自分を見てみると、若者は25歳くらいまでは
好きなことをやればいいのではないかと感じています。
遊ぶという意味ではなく、ビジネスとして儲けようと考えるのではなく
「これをやりたい」「自分の夢」と思えるものを
追っていても良いのではないかという事です。
その様に好きな事をしていても、自然と大人になる時期が訪れ、
いずれ足元の数字を気にしなければならない時が必ず来ると思います。

ただし、大人として、売り上げや社会的な貢献度を見る時期になっていても、
やりたい事をしていた時期の熱意を保っていてもらいたいと考えてもいます。
夢を追うだけで良かった時期に向けていた熱意は失わず、
方向を修正していくことが大切なことだと思っています。
その熱意を育てるという意味でも、若い人たちには叶えたい夢を持って、
今はがむしゃらに追いかけてもらいたいですね。

株式会社Cuon 代表取締役 林田 幸一

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代表取締役 林田 幸一

代表取締役 林田 幸一

設立 2010年1月
事業内容
    • Webシステム受託開発
    • スマートフォン対応サービス
    • Webマーケティング
会社HP http://www.cuon.co.jp

独立心に火がついたきっかけ

まだ小さい頃、父親が早くに死んでしまったんです。
母子家庭で育ち、多少ですが苦労しましたね。
そんな環境だったからこそ、『何とかしないと!』という自立心が養われていったような気がします。

IT業界に興味を持ち始めたのは大学生になってから。
ITで起業している人が周りにいて、
「一旗揚げてやる!」という風潮が他の業界に比べて強く感じられたんです。
幼い頃から育まれてきた独立心に火がついた…そんな感じでしたね。

母親の必死な姿を見ていた分、楽をさせたい思いもあり、
独立して何かやってやろうと考えていました。
そこで、比較的まだ新しい分野で、これから何でもやっていけそうな
IT業界に可能性を感じ、足を踏み入れました。
当時は孫正義さんも出てきていない、まさにITベンチャー創世期。
無限の可能性が広がっていて、何でもできる所が面白いと感じていました。

ベンチャー企業の良さとは?

大学卒業後、とある大手企業に就職しました。
ゆくゆくは独立する計画でしたので、
ビジネスマンとしてのスキルを上げたかったのです。

その後、コンサルティング会社やITソリューション会社を経て、Cuonの起業に至りました。
以前から抱き続けた起業への想いですが、
実際に踏み切れたのは、出会ってきた方々の応援のおかげでもあります。
前職の知り合いから背中を押してもらう形で起業に踏み切ることができ、
起業後も色々なサポートをしてもらいました。

一人でなかなか第一歩を踏み出せずにいる人には、周りに相談してみることをお奨めします。
その為にも、普段から人との繋がりを大事にしておくべきでしょうね。

また、私自身の経験から言うと、
起業を考えている人であれば、最初からベンチャー企業に就職した方が得策かもしれません。
私が就職活動をしていた頃は、今ほどベンチャー企業もありませんでしたので、
必然的に大手企業を選択しましたが、独立に直結する勉強はあまり出来ませんでした。
より実践的な経験を求めるのであれば、ベンチャー企業に身を投じてみることをお奨めします。

Cuonの強み

「Ruby on Rails」(以下RoR)を用いたシステム開発では多くの実績があり、
様々な状況に的確に対応できる自信があります。
経営者として、きちんと「RoR」を扱える社員を育てることにも注力しています。

また、業務コンサルタント出身者を多く備えている当社では、
技術以上にWebプロジェクトのマネジメントに力を入れています。
今後も業務コンサルタントを兼ね備えたCuon独自の力を生かして、
「痒い所に手が届く」サービスを提供していきたいと考えています。

そもそもCuonは「久遠」(仏教用語で永遠の意味)に由来しています。
技術発展の願いは、過去から未来にかけて永遠に続いています。
会社を継続させていくことも、顧客・社会に対して1つの貢献の形と捉え、
その思いに応えていくことをミッションとしています。

これからのCuon

アメリカでは、何かシステムが必要になったとき、自社内で開発するのが一般的です。
日本にも徐々に、その波が押し寄せてきています。
これまでは専門の会社に丸投げしていた所でも、
自社でエンジニアを雇い入れる動きが見られるようになってきました。

当社としては、その流れの背中を押せる会社になりたいと思っています。
例えばシステム開発だけにとどまらず、事業の立ち上げ支援サービスや、
コンシェルジュ的な役割も果たしていきたいと思っています。

今現在、いただいているお仕事の半分以上が開発の仕事ですが、
今後は、コンサルティングが出来るCuonの強みを生かして、
その比率を徐々に増やしていきたいと考えています。

会社規模に関して言えば、5年後には30名程の規模にしたいですね。
現状でも、頑張ってくれた社員にはその分だけ社員に還元する仕組みをとっているのですが、
今以上に、能力の高い社員を育てていき、
少数精鋭のプロ集団で切磋琢磨し合える会社にしていきたいと考えています。
その点から言っても、若手社員を育てていくことが今後の課題であると思っています。

求める人物像とは?

求める人物像については3つの要点があります。

1つは、自分で課題を見つけ、解決していく姿勢を持っているかどうか。
どんな業界でも共通して言えることですが、
この基本的姿勢がないと自己の成長は望めません。
会社という集団が成長していく為にも、これは必須条件と言えます。

2つ目は、何事にも好奇心旺盛なこと。
好奇心旺盛で多くのことを学びたいという人は、何事においても主体的に物事を捉えています。
仕事に取り組む中でも、当事者意識のあるなしでは、完成品のレベルが全く違ってくるのです。

最後は全ての基本になってしまうかもしれませんが、「素頭」が良いこと。
これは、空気を読むスピードの早さに比例すると考えていて、
「素頭」の良い人はそれだけ周りも見られるということです。
周りを見て、今何をすべきか、何が足りないのかを瞬時に判断し、
問題解決に向けて走り出せるようなスピード感が大事なのです。

将来の起業家達へのメッセージ

独立志向の強い学生は、最初からベンチャー企業に就職するといい。
このことは上記で述べた通りですが、ベンチャー企業ならどこでも良いというわけではありません。
基準は、「這い上がるチャンスを与えてくれるか会社かどうか」だと思います。

せっかくベンチャー企業に入ったとしても、
いつまでも小さな仕事ばかりでは、ベンチャー企業にいる意味がありません。

ベンチャー企業に入った、またはこれから入ろうとしている人は、
1日でも早く仕事を覚えて、その会社のトップになる勢いで仕事に取り組み、
大きな仕事を任せてもらえるチャンスを勝ち取ることです。
上の地位に立つと、自信がつくのはもちろん、人脈が変わってきます。
独立にとって、これほど大きな後ろ盾はありません。

チャンスを与えてくれる職場環境を選び、チャンスを上手に利用して経験を積んでいく。
それが独立する為の最短ルートだと思います。

株式会社マイデスク 代表取締役/CEO 松野 広志

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代表取締役/CEO 松野 広志

代表取締役/CEO 松野 広志

設立 2010年8月
事業内容
    • たった5分で自社専用のオンライン教室が開講できるeラーニングシステム「edulio(エデュリオ)」の開発・運営
会社HP http://www.edulio.com/

起業の経緯

大学卒業後に就職したのは、株式会社ナガセ(現:東進ハイスクール)。
ここでの経験は、今の通信教育ビジネスの心髄となりました。

当時(2001年頃)は、通信教育といっても衛生放送とビデオテープの時代でしたが、
教育に関して「一斉授業」か「個別学習」かといった手法がクローズアップされがちでした。
しかし、ナガセでは教育手法にとらわれることなく、
本来の教育方針というところの土台を固めている時期でした。

教材をただ提供するのではなく、
教育現場の環境づくりをどうしていくかが一番重要という考え方でした。

このように教育現場の環境作りの大切さを実感できた時間はとても大きかったと思います。

その後、ナガセを退職してIT業界へ転職。
企業の人事システムの導入コンサルタントとして活躍。
そこで企業内の人材育成という分野では、IT化が遅れており、
多くの業務がエクセルでおこなわれている実態を知りました。

その学習塾と企業内システム開発の経験が組み合わさり、マイデスクを設立する運びとなりました。

事業内容-クラウド型のラーニングシステム「edulio(エデュリオ)」

教育ビジネスには、欠かせないeラーニングシステム。
弊社の製品「edulio(エデュリオ)」は
誰でも手軽にeラーニングシステムを開設することができます。

このサービスは「スピード」「コスト」「使いやすさ」の3つが強み。
クラウドで提供していることで、時間と場所を問わずに学べ、
説明書を見なくても簡単に操作ができます。
また、システムをクラウドで提供することでコストを抑え、
同時に直ぐにサービスを提供することを可能にしました。
これにより、従来のeラーニングシステムに比べて、
時間とコストが劇的に抑えることができました。

現在は、お客様からのお問合わせや、お客様からご紹介をいただくケースが多くなっています。
システムが高くて使えない企業様にもクラウドを使ったことでのコストパフォーマンスや
使いやすさを認めていただいているのだと思います。

もちろん、お客様へのデータの提供など、
きめ細やかなサービスを心がけて他社との差別化もはかっています。

「学びたい」「教えたい」の気持ちを繋ぐために

eラーニングのシステムというと、表側から見れば、
ビデオが見れるとか、テストができるといった見た目に目がいきがちです。

それ以上に、私達がこだわっている部分があります。
それは「人の見える化」です。

お客様は、システムが欲しいのではなく、「人の成長」が欲しいのです。
そのためには、今どういう状況で何が欲しいのか知ることが大切であり、
システムとしてはデータ提供が重要な役割を担います。

これがあるとないとでは、人材育成は前に進まないと思いますので、
データ提供にはこだわっている部分です。

弊社では、このようにIT技術で人材育成を支援しているのです。

2、3年後の海外進出に向けて

現段階では、国内できっちり足場を固めていくことだけを考えていますが、
2、3年後に海外で勝負したいと思っています。

海外への進出にあたっては、単純に今のシステムをコピーするのではなく、
各国の人の育成の違い、文化の違いなどを意識した形で
サービス・システムを提供していきたいと考えています。

今、日本企業向けにサービスを提供していて思うのですが、
人材育成の現場担当者の方は、非常に細かいことに気をつけています。
テストの成績が低いことは問題になりますし受講率は100%を目指します。
弊社のシステムもそれに応えられるように、
未受講者に対するアラートメール送信などの機能が充実しています。

そういった点が、日本人が生み出す製品やサービスの緻密さや、
安全性といったクオリティに影響しているのだと思いますが、
それをそのまま海外に出せる部分と調整が必要な部分があると思います。
日本品質を担保することを意識して造られたedulioが、
海外で通用するか見てみたいと思います。

将来を考えている方求む!

一緒に働きたい人は、問題意識を持ち、
将来自分でも何かをやってみたいと考えている方です。

ここで働いて何かを吸収し、いつか自分も!と考えている人と働くのは楽しいですから。
そして、私たちの取り組むお客様の課題解決に対して、
興味を持ってくれる人。共感してくれる方と働きたいと思っています。

逆に厳しいなと思うのは、限定した働き方しかしない方でしょうか。
例えば、営業だから営業しかしない、
プログラマーだからプログラムだけ、と決めてしまう人。
実際に手は動かせなかったとしても、考えることはできるはず。
興味がないから知らないという姿勢の方はとてももったいないなぁと思います。

株式会社LOCUS 代表取締役 瀧 良太

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代表取締役 瀧 良太

代表取締役 瀧 良太

設立 2010年4月2日
事業内容
    • 映像・WEB・グラフィックの企画・制作・販売
    • 映像・動画メディアの企画・制作・運営
    • 人材採用支援事業
会社HP http://www.locus-inc.co.jp/

ビジネスの面白さを体感した学生時代

大学時代の大半は、会員制宝石店や海外高級ブランドなどのビジネスに携わり、
大学にはあまり行かずにビジネスばかりやっていましたね。

しかし、大学3年生の夏にターニングポイントが訪れます。
卒業後もその仕事を続けていく予定でしたが、
ある方との出会いが人生の転機となり、全ての仕事を辞めて、
自分の可能性を試すべく就活を始めることを決意しました。

また、皆と一緒では面白くないので、
就活を始めると同時に友人と「就活支援団体」を立上げることとなります。
発足当初は、「就活を楽しもう」という程度の軽い動機でしたが、
様々なイベントを開催していく内に、「優良企業と学生の出会いの場」を提供することに意義を感じ、
就活と並行しながら、団体運営にのめり込んでいましたね。

主な活動内容は、
「企業20社、学生500人のサマーインターンイベント」や「ベンチャー経営者の講演会」などでしたが、
当時はそのような団体が珍しかったのか、新聞や雑誌など各種メディアにも取り上げて頂きました。

今になって振り返ってみると、宝石や高級ブランド等の嗜好品をtoC向けに販売する経験から、
今の営業スキルが養われたなと感じていますし、「就活支援団体」の運営を通して、
組織を束ねることの難しさや面白さを得たなと感じています。

LOCUS誕生のきっかけと背景

学生時代の仕事や就職支援団体での経験を通じてビジネスや組織を作る面白さに目覚め、
「3年間経験を積んで独立するために、
結果を出せば1年目から新規事業を任せてくれる会社」という軸で就職活動をし、
最終的にはその想いを受け止めてくれた株式会社ビー・スタイルに入社を決めました。

幸いな事に入社2ヵ月後から「映像を付加価値とした社内SNS」の新規事業を任され、
マネージャーとして充実した日々を過ごさせて頂きました。
当初立上げた事業はなかなか軌道に乗らなかったのですが、
試行錯誤したプロセスで映像の持つ可能性を確信した私は、
旧態依然の「映像受託制作事業」に市場性を見出しました。
代理店を介さない直取引による価格競争力と柔軟な対応力を強みに、
事業は少しずつ軌道に乗りはじめ、
三菱商事様、日本生命保険様、すかいらーく様、楽天様、セブン‐イレブン・ジャパン様、明治様など、
3年間で200社以上と取引するまでに至りました。

事業の成長と共に学生時代に宣言していた3年間はあっという間に過ぎ、
そろそろ自身のキャリアを考え始めようと思った矢先、
世界経済に大きな衝撃を与えたリーマンショックが発生。
世界同時不況の幕開けが人材の流動化に歯止めをかけ、
ビー・スタイルは本業である派遣事業に経営資源を集中させることが確定し、
経営陣から担当事業の撤退を打診されました。

社会的意義とニーズがある事業なのはもちろんのこと、
何より大切なお客様と仲間の存在が心を動かし、自己資金で事業のEBOを行うことを決断し独立。
これが起業、そしてLOCUSが産声を上げたきっかけと背景になります。

映像ベンチャー企業として

私たちはセールスプロモーション、人材採用、教育研修、広報・IRブランディングなど
様々なジャンルの映像・WEB・グラフィックの企画制作を、現在は主力分野としています。

新規事業としては、19万円でプロクオリティの映像ができる映像制作パッケージ「PROMOTTO.tv」や、
世界中のWEB動画マーケティングの最新情報を取り上げているニュースメディア「movie TIMES」、
日本最大級のWEB動画データベース「movie BANK」、
YoutubeやSNSなど各種WEBメディアの「動画広告代理事業」などを次々にリリース。

今後は、既存事業を収益の柱とし、スマートフォンやタブレット、デジタルサイネージ、
電子ペーパー、AR、ホログラムなどの映像を配信・視聴可能なインフラの整備とテクノロジーの進化に合わせて、
映像を基軸とした「クラウドソーシング」や「映像クリエイター特化の求人媒体」、
「アドネットワーク」、「クリエイタースクール」など様々な映像関連サービスを開発していきます。

LOCUSは、市場の成長性に合わせて「映像制作会社」ではなく「映像ベンチャー」として
“映像をもっと手軽に、映像クリエイターをもっと身近に。”をミッションに
新たな価値を世に提供し続けていく企業体で在り続けます。

求める人物像

LOCUSが志向する企業風土は、
まず、社長や一般社員といった立場を超越して、自由闊達に意見が言い合えること。
次に、映像を企画・制作する姿勢は、見た目だけではなくロジックに基づき
“目的”をきちんと果たすソリューションを追求するものであること。
そして、どの分野の事業においても常にNO.1を目指す、ということです。

そんな私たちが求める人材は、基本的に誠実で前向き、そして人を大切にする人。
また、世の中にない新しい分野を開拓していく上では、
自然にアンテナを高く掲げ常にインプットし続けている人が望ましいと考えています。
さらに、会社のスタートアップ期に受けるさまざまなプレッシャーを「面白い」と思えることも重要ですね。
その点では、“野心を持っている”ベンチャー志向の人がふさわしいと考えています。

社内の制度などは、これから整えていくことになりますが、
会社として着実に成長させていくために、グローバル展開を視野に入れた事業戦略や、
事業競争力や財務基盤、マネジメント体制の強化が必須となるIPOもベンチマークに置いています。
新しいフィールドに挑みながら、
仲間とともに自分を成長させていきたいというチャレンジ精神のある人と是非一緒に働きたいですね。

就活生へのメッセージ

まず、ベンチャー・大手などの規模や就職人気ランキングをはじめとした知名度にこだわらず、
就職活動してほしいと思います。

どんなに大きな会社でも倒産する可能性は多いにありますし、
今後の日本では貧富の差がどんどん激しくなっていくでしょう。
そのような状況が予想される経済環境を見据えて、
社会人になったら、会社にぶら下がるのではなく個人として稼げる力を身に着けるべきだと思います。

なのでベンチャー・大手にこだわらず、
ご自身の人生設計に合わせた力を身につけられる会社で働いたほうがいいかなと思いますし、
そもそも就活の目的は「就社」ではなく、「就職」ですからね。

会社の規模ではなく、
自分がそこで個として勝負できるまで成長できるような会社を目指して
就職活動に臨んでください。


ビジョナル株式会社 代表取締役 鳥羽 剛史

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代表取締役 鳥羽 剛史

代表取締役 鳥羽 剛史

設立 2010年12月24日
事業内容
    • インターネットメディア事業
    • WEBソリューション事業
    • 人財輩出支援事業
会社HP http://www.visional.jp/

起業経緯 - アジアとの格差を埋めるため

学生時代にサーフィンをするため世界中を旅しました。
特に訪れる機会の多かったアジアで、日常生活における世界の格差を目の当たりにします。
仕事が無い、または生活していくのがやっとというような国がたくさんあるんですよね。

一番大きなきっかけは、学生時代に一緒に住んだことのあるインドネシア人が死んでしまったことです。
風邪を引いてもお金が無いために病院に行けずご飯も食べられなかったという、
日本では考えられないようなことが原因でした。
こんなことで死ななくてはならないなんてすごく寂しいじゃないですか。
遠いアフリカの奥地ではなく、すぐ近くのアジアで起きていることです。
こういう状況は意外と知られていませんよね。
私たちは日本に生まれたというだけで非常に恵まれているのです。
この時に私が何かをしなければと強く思いました。

当時、比較的簡単に始められるのではと思えた飲食店を現地で開こうかとも考えましたが、
調べるとやはりお金がかかると知り断念。そんな気持ちを抱えながら大学生活を過ごしました。

大学時代の知人に経営者が何人かいたので相談したところ、
「一度社会に出て世の中のことを知らないと経営できない、また仲間も必要だ」と
アドバイスを受け、就職活動をしました。

当初から既に起業をしたいという強い意志があったので、
入社試験を受ける会社の基準を明確に決めてありました。
まず、社長に直接営業できる会社であること、
商材ではなく提案力が必要なサービスなど無形のものを売る会社であること、
最期にベンチャー企業であること、この3本軸です。
内定をもらった数社のうちコンサルティング会社に入社を決めました。

会社のすぐそばに住み、社会人1年目はサラリーマンとして朝まで仕事、
8時に出社するという生活を送りました。
自分がなるべき姿が明確にあったので、長時間の仕事も苦ではなかったです。

イメージしていたものはあったものの、
最初はなぜ会社という形態にすべきなのかはっきり解かっていなかったんです。
その後、仕事をしていくなかで次第に答えが出てきました。

会社を作る意義はいくつかあるかと思いますが、
私利私欲のためでもなく、小さな目標のためでもありません。
お金を稼ぐだけなら個人事業主をすれば会社経営よりもずいぶん楽です。
稼ぎが全て自分の給料になり、先を考える必要も無く、オフィスも小さくて済みますからね。

ではなぜ会社にするのか。
よく世の経営者が「世界を変えるため」と言いますがまさにその通りだと思います。
私も世界のため、アジアの環境を変えるために会社を作ったのです。
今はインターネット上の情報を整理することによりユーザーがより便利に利用できる仕組みを
作ることで世界に貢献していきたいと考えてます。
仕事を単に生きるため生活の為の手段と捉えるのではなく、
世の中をよりよく変える!という大義のもと働きたい。
それは一人で実現できることではなく優秀な同志が必要であると考えました。

会社を始めるとしても日本で例えば不動産業を始めたところで、
アジアとの格差を埋めるのは難しいでしょう。
一方、インターネットは地域格差を埋める能力のある事業であり、だからこそITに拘ったのです。
Yahoo!やGoogleのように、世の中を変え、今までの当り前を変え、
世界との距離を縮めるような事業である必要がありました。
例えば、インドネシアで画期的な検索エンジンを開発したり、
中国で厳しく行われている情報管理に変革をもたらすことができれば世界は変わりますよね。
その可能性を秘めたインターネットビジネスが私のビジョンに合っていたのです。

会社と個人の夢が叶えられる場所

ビジョナルという社名にも使用しているように「ビジョン」という言葉を大切にしています。
会社の夢と個人の夢、両方が叶えられるような場所にしたいですね。

恐らく誰にでも夢はあるのに、何か理由をつけて諦めているのではないでしょうか。
死ぬほど努力するくらいなら、やらなくても良いと思ってしまう。
そうではなくて、やりたいことをやろう、やった方が幸せだという考えのもとに仕事をしています。
自己実現の延長線上に仕事があるという捉え方です。

インターネットを通じた企業のPR支援

例えば静岡にとてもおいしいと評判のパン屋さんがあるとします。
ところが、普通に商売していたら2km圏内でしかそのパンは知れ渡らないでしょう。
広告費にそれほどの予算もかけられません。

これをインターネットで販売すれば、
世界中の誰でも、1日24時間そのパン見つけることができるのです。
一気に商圏が世界に広がります。
分かりやすく言えば、そういう企業のPRや広告の支援をする会社です。

他社との差別化はずばり技術力。
SEOも制作も内製化しています。グーグルやYahoo!の上で商売しているので、
そのアルゴリズム、特性を十分に理解する必要があり、
どういうルールであるかを日々検証しています。

また、営業力も強みの一つです。
単純にインターネットの商売を売りに行くのではなく、
経営改善に向けたコンサルティングを売っています。
企業の困っていることを改善しに行くわけです。
いかにして売り上げを上げるか、どのようにコストを削減するか、
そこを徹底的にやりに行く会社であり、技術力に裏打ちした営業力も自慢です。

現在15名体制で、そのうち技術と営業・マーケティングの人員は半々。
ベンチャー企業ですし、まだまだプッシュ営業も必要ですね。
当社は事業を通じていかに成長できるかも重要視しており、
基本的に成長に繋がらない事業はやりません。
プッシュ型営業も営業力を上げることができる貴重な経験であると認識しています。

今後のビジョン - アジアへの貢献を視野に

今年は新卒を10名採用しましたし、来年度は倍ぐらいの採用する予定で、
今後の2年間で50名体制となる見込みです。

さらに事業自体も多角化していかねばならないと考えています。
もともと会社設立のきっかけとなったアジアにも進出したいですね。
最初のきっかけを貰ったアジアに対して価値を提供していきたいです。

起業当初は自分で会社を立ち上げたら楽しいだろう、楽だろう、
お金持ちになれるだろう、などという単純な思いで始めました。
ところが、会社を経営するうえで一番重要なことは「続けること」であり、
正直言ってそこに楽しさはありません。
一旦会社を始めればお客様や社員のために成果を出し続ける義務と責任が生じます。
そのために仕組みを作り続けなければなりません。
今月は給料を払えないとは絶対に言えませんからね。

日本におけるネットユーザーは日本人口の80%ほどと言われております。
単純計算でも9,000万人がインターネットを利用していることになります。
人口減少に伴い、今後、日本におけるネットユーザーが拡大していくことはないと考えております。
世界では現在23億人のネットユーザーがおり、2017年には、36億人になると言われております。
マーケットを日本国内に限定しないという選択をすることで、
多くの方々によりよいサービスを提供できるチャンスがあります。
ビジョナル株式会社はアジア!そして世界!!へのチャレンジを進めていきます。

求める人物像

まずビジョナルが好きな人、この会社で働きたいと思ってくれる人と一緒に仕事がしたいです。
また、「自分はこういう生き方をしたいんだ」ということが漠然とでも描けている人が良い。
なぜならば、人は目標があるとそれに向かって努力するからです。
よく言われることですが、目標があると意識が芽生え、
意識が変わると行動が変わり、行動が変わると成果が変わるからです。
目標があるからこそ行動を起こすわけで、目指さなければ決してたどり着けません。

社員に共通しているのは成長したいという思い。
「ビジョナルをここまでの規模にしたい」という意識のある社員もいますし、
また「ビジョナルのサービスを提供し、革新的・独創的で便利なサービスを提供し、世の中に付加価値を見出そう」と
考えている社員も居ます。
いずれにしろ、会社とは社会に貢献できないと存在意義がありません。
利益を出して法人税を納めるのも一つの社会貢献だと思いますし、
ご期待を頂いたクライアントに貢献していく必要があります。

当社の評価制度は特殊で、「能力給」と「志」の項目があります。
働き甲斐のある会社にしたいので、志を評価し結果に反映させる仕組みを作りました。
成果が出ている人間は志が高いものです。

素直である、明るい、前向き、向上心がある、気持ち良い人間でありたいと思いますし、
そういう人と一緒に仕事がしたいです。
これらは一長一短で身に付くものではありませんが、誰にでも必ずどこか長所がありますので、
そこを発揮で来る人が良いですね。

学生へのメッセージ - 最善の自己に忠実であれ!

誰しも生きていると必ず「できない壁」がやってきます。
『やりたいこと』や『できること』だけやって生きていくのは不可能です。
「できない壁」にぶち当たった際にその人間の真価が問われると思います。

それでもやる人と、やらない人に分かれていきます。
やる人とやらない人の違いはなんなのか。
様々な要素はあれ、本気かどうかが大きな要素と考えてます。
例え遊びであっても100%の力を発揮して全力で頑張る人と、6割程度の力でしか遊ばない人がいます。
勉強でも部活でも遊びでも、100%の力で取り組んでほしいです。
一度きりしかない、かけがえのない、ワイルドな人生を本気で生きてみませんか。

株式会社ゼアテックス 代表取締役 友野 憲一

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代表取締役 友野 憲一

代表取締役 友野 憲一

設立 2010年7月12日
事業内容
    • ソフトウェアに関するコンサルティング、
      ソリューションの提供、オンサイトによるシステム開発
    • ウェブサイトの構築など総合的コンピュータ関連サービスの提供、
      Webサイト作成
    • スマートフォン、タブレットアプリケーション開発(Android,i-OS,Windows8)
    • プロモーション動画作成(宣伝用Web動画から店舗プロモーション等)
    • 写真撮影代行、動画撮影代行、画像処理、その他ソフトウェア開発及び情報処理におけるサービス全般
会社HP http://www.zeatex.co.jp/index.html

学生時代の話「10代の頃からの起業意識」

漠然とですが、小さい頃から会社を経営したいと思っていました。

10代はファミコンが好きでゲームにはまっていました。
大好きなゲームをするだけでなく、
自分だったらこんなゲームをつくりたい、と
いつの間にか作る側への興味が高くなっていました。

ゲームがプログラムを元に作られていることを知り、
専門学校でプログラミングの技術を学びました。

当時はインターネットが普及してなかったので、
知りたいことがあれば自分の足を使って走り回ったり、人脈を頼りに
情報や知識を身につけました。

明確な夢や目標を持ち、実現するためにはどうすれば良いかを考え
自発的に取り組むことで、学校で勉強するだけでは足りないことも
多く学ぶことができました。

起業経緯「マネジメントを学んだ後に、技術職に」

起業に必須なマネジメントだけは
会社の実戦でしか学ぶことができないと考えていたので
最初に情報と人材派遣を扱っている会社に就職して
マネジメントの勉強をしました。

その後、本格的なIT企業に入りました。
就職先を探す時には、大手企業ではなく
経営を一緒に勉強させてもらえそうな
企業として若い会社を探していました。

面談の時に将来的に独立したいので、
勉強させて欲しいと社長に話をすると、
一緒に成長しようと快く受け入れてもらって、
チャンスを与えていただきました。

エンジニアで経験を積んだ後、次は営業を学ぼうと思い、
営業をさせて欲しいと会社に申し出ました。
前職の社長からはとても多くのことを学ばせて頂けたことにとても感謝しています。

そして、自分の理想のIT企業をつくりたい想いに
社長から賛同していただいたことと、
同時期に現在の役員、土田が私に協力したいと手を挙げてくれたことで、
今が独立のタイミングだと思い2010年に起業しました。

経営理念「“IT業界を元気に”」

現在、IT業界は社会と密接に関わっています。
そのITに携わる人達が、
夢を持って元気に明るく情熱を注いで仕事をしたならば
必ず世の中にも良い影響があるはずです。

そして、私は人は宝だと感じているので、
人材は「人財」だと思っています。
夢のある元気で明るい人財を
多く育てていきたいと考えています。

エンジニアは良くも悪くも職人で、つくることには情熱を注ぎます。
しかし、その先に自分の夢を見据えている人は多くありません。
一人ひとりがワクワクしながら働き、
エンジニアという職種の人気が上がると嬉しいです。

私自身も前職の社長や周りのみなさんにそうしていただいたように
人の成長を助け、育てることが喜びなのです。
IT業界全体を元気にするために
少しでも多くの熱意のある人財を育てて盛り上げていきたいです。

こだわり「社員のモチベーションをいかに上げるか」

技能やスキルはもちろん、将来に夢を持ち、
モチベーションの高いスタッフと
会社を盛り上げていきたいと思っています。

そのため社員のモチベーションをいかに上げるかを課題にしています。
楽しいことが沢山ある会社で、勤めてて良かったと思ってくれたら
モチベーションも上がると考え、
エンジニア一人ひとりが楽しく元気に働ける会社をイメージしています。

そうすれば明るく夢も持てるし、情熱も湧いてくる。
結果として当社が大切にしている
「熱意と誠意を持って高品質の情報処理サービスを提供する」ことに
つながっていくのです。

よくエンジニアはコミュニケーションが苦手と言われますが
当社はお客様とのコミュニケーションを非常に大切にしています。
自社内でもビジョンの共有や細やかな面談など
コミュニケーションに重きを置き、
なぜエンジニアとして働いているのかを明確化する努力をしています。

各人の仕事への取り組みが、会社の信用力を高めてくれているので、
社員や社員の家族に感謝の意味を込めて
バースデー休暇などのいろいろな制度で還元しています。

今後のビジョン

社員採用を積極的にしていきたいです。
将来的に独立を考え、
勉強したいから入社したい人も歓迎です。

また全くスキルがなくてもコミュニケーション能力のある人
逆にこれだけはという技術をもっているけど
コミュニケーションが苦手という人も育てていきます。
熱意ある社員を増やし、育てていくことが当社の未来には必要なのです。

国内、地方には優秀なエンジニアが沢山います。
その地方のエンジニアを育てて、一緒に仕事をしていくことも考えています。
地方にいながら東京の仕事ができるのはITならではだと思っていますから。

もう一つは自社開発のサービス・商品を実現することです。
エンジニアが創りたいものを創る自社開発フリー制度を設けて取り組んでいます。
これもモチベーションを上げる要素だと考えているので
自社ブランド・自社のイメージづくりに力を注いでいきます。

明るく元気なエンジニアが多くの企業で活躍することで
良質なITソリューションが社会を幸せにしていく。
こんなグッドスパイラルが作れたら素晴らしいです。

地域復興を必要とする地方に対しても、
ITソリューションを駆使し、貢献していきたいです。

学生へのメッセージ

今の若い人達はあきらめるのが早かったり自信がない人が多いなと感じています。
もっと自信を持っていいと思いますよ。
気をつけなければいけないのは
自信を持つことと、調子に乗ることは違うことを分かっておくことが大切なのです。

コミュニケーション能力も年代ごとに低下傾向がありますが
プログラムだけでなく、コミュニケーション能力も身につければ
仕事をしていくうえで、他の人との差別化が大きくはかれます。

そして経験者や目上の人の苦労話や失敗談はとても参考になります。
自慢話も同じくらい勉強になり、最短な解決方やワクワク感が湧いてきます。
自身のために、人の話には体ごと耳を傾けましょう。
それが出来るかできないかで大きくその後が変わってきます。
夢と情熱でモチベーションを高く、
目標に向い、熱意を持って取り組んでください。

エンジニアを目指すなら
サラリーマンエンジニアは楽しくないと思いますので、
プライドのある職人エンジニアを目指して頑張ってください。

株式会社JESTO 代表取締役 斎藤永聖

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代表取締役 斎藤永聖

代表取締役 斎藤永聖

設立 2010年4月1日
事業内容
    • メディアポータル事業
    • クリエイティブ事業
    • インターネット広告代理事業
    • インキュベーション事業
会社HP http://www.jesto.co.jp/ja/

「3年以内に起業!」を何としても実現させたかった

もともと父がデザイン事務所を経営していて、母方も経営者が多かったこともあり
「いずれは経営者になりたい」とぼんやり考えていました。
小学校、中学校はエスカレーター式だったものの
高校からは「もっと外の世界を見よう」と、外部の学校に進学しました。

父の影響もありグラフィックデザインが好きで、大学在学中には自分でHPを作りました。
就職活動でも、ネット関係の会社を中心に挑戦していたのですが
企業選びの基準としたのは、「将来の起業と直結する会社」ということでした。

自分の中で「3年以内に起業したい」という目標があり、
何としてでも実現させようという意思があったのです。

こうして友人ら4〜5人と集まって、26歳の時に会社を立ち上げました。
起業時のコンセプトは「日本の文化を世界に伝えよう」というもので、
これは現在でも変わっていません。

JESTOが掲げる5つのキーワード

JESTOという社名は、起業時にメンバー全員で話し合って決めたものです。
毎日話し合いを繰り返し、なかなか意見がまとまらない中で
会社が大切にすべきことを考えていくと、5つのキーワードが浮かび上がりました。
それがJAPAN(日本)、ENJOY(楽しむ)、SOCIETY(社会貢献)、
TEAM(チームワーク)、 OVERCOME(成長)の5つです。

JAPANには、四季の風景や伝統文化など
「日本の素晴らしさを海外に伝えたい」という思いが込められています。
2011年の東日本大震災をきっかけに、その気持ちはさらに高まり、
「日本を元気にし、新しい価値を提供していきたい」と強く考えるようになりました。

ENJOYは、「仕事を楽しみ、好きになること」を大事にしようというもの。
好きでもない仕事を無理にやっても、そこに成長はありません。
楽しんで取り組んだ仕事だからこそ、人を幸せにすることができるのです。
楽しむ心そのものが、JESTOの推進力だと考えています。

私たちは会社を通して、社会のために何ができるのか。
そう考えると、SOCIETYというキーワードは譲れませんでした。
大切なのは、たくさんの仲間とお客様を幸せにすること。
形はどうあれ、常識を覆した感動を皆さんに届けることが、私たちなりの社会貢献です。

TEAMは、「仲間を大切にし、とことんこだわる」という理念からです。
JESTOで働く仲間は、学歴や年齢、性別、さらには国籍までバラバラ。
経験や知識を共有し本当の信頼関係を結ぶことで、チームワークの相乗効果も高まっていく。
それを何より大切にすることで、組織は自ずと最適な方向へ動いていくのです。

また、失敗を恐れると成功には辿りつけません。
私たちは何百回も失敗を繰り返しながら、新しい可能性を見い出していきたい。
そんな思いを重視すると、OVERCOMEというキーワードも欠かせませんでした。
チャレンジしないでチャンスを逃すことが、最大の失敗なのです。

このようにJAPAN、ENJOY、SOCIETY、TEAM、OVERCOMEの頭文字をとって、
JESTOという社名が導き出されました。
社名に隠された5つのワードこそ、当社の存在意義であり、
一人ひとりの行動指針になっています。

日本の魅力を伝える事業に加えて、デザインやサイト運営も

現在の事業は、大きく分けて3つです。
まずクリエイティブ事業では、ホームページ制作やFacebookページ制作、
ポスター、カタログ、名刺など、企画制作・デザインの全般を担当しています。

2つめは大学在学中から続けている、比較サイトのメディア運営。
内容は、夜行バスやレンタカー、クレジットカード、ネット銀行、ローンなど、
それぞれのトピックにおける情報提供と業界内の比較です。
ユーザー目線の中立な立場で、使いやすいサービスの提供を心がけています。

3つめのJapantwo事業は、ネットメディアなどを通して
日本の文化を世界に発信していくというもの。
四季の景色や伝統文化など、日本の魅力を世界に伝えながら、
私たち自身も日本の良さを再認識していけたらと考えています。

今のところ、Japantwo事業は収益を上げるほどになってはいませんが
取材がきっかけでデザインの仕事を受注したりと、当社の広告のような働きをしています。
HPがリニューアルしたばかりなので、これからPV数を増やして
ユーザーが自分たちで報道できるような仕組みを作っていきたいですね。

国際色豊か!インターン生の受け入れで会社を元気に

現在の常駐スタッフは8〜10人ですが、
インターン生も含めると30〜40人ほどの規模になります。
もともとインターンに注力するつもりはなかったものの、
最初に紹介で一人受け入れた後は、どんどん規模が大きくなっていきました。

今では大学生以外にも、高校生や社会人のインターン生もいます。
人からの紹介だったり自分で調べてきたりとルートは様々ですが、
全員が共通して「学びたい」という意志を持っています。
なかには2〜3年続けているインターン生もいて、
Webデザインやファッションの企画など、それぞれが興味のある分野の勉強をしています。

また、留学生のインターンも多いため、英語や中国語など様々な言語が飛び交うことも。
国際色が豊かなのは、互いに刺激になるなど成長の要素がたくさんあります。
日本人は自分の意見を強く言わない人が多いので、
海外の人の自己主張する姿勢がとても刺激になるようです。
また「大学の授業より英語が上達する」なんて言う子もいますよ。

人を育て、新しい働き方を提案する企業へ

今後もインターン生の受け入れは行っていきますが、
それをビジネスにしようとは考えていません。
むしろインターンを通して「人を育てる企業」になりたいと考えています。

多くの企業は、インターンを採用活動の一環として行っています。
それに対して、私たちが重視するのは「本人の成長」です。
当社ではインターンから直接入社するケースはほとんどありませんが、
インターン生はウチで様々なことを吸収して、
それを社会に広めていってもらえると嬉しいですね。

また、最近は個人事業やフリーランスが増え、
働き方の形もますます多様化していると言えます。
多くの人が大学に進学し、足並みを揃えて就職活動を行うこれまでの仕組みは
もはや崩れかけていると言ってもいいのかもしれません。
大学の存在意義も、問われ始めているでしょう。

だからこそ学生には、就職活動をする前に社会で学ぶ機会を持ってほしいのです。
多様化する社会の中には「こんな働き方もあるんだよ」と学生たちに教えたい。
このように「21世紀の新しい働き方」を、社会に伝えていけたらと思います。

やると決めたら全力で続けよう!

学生であれば、まだ自分のやりたいことが明確に決まっていない人も多いでしょう。
そんな方たちに伝えたいのは、とにかく目の前のことを集中してやってほしいということです。

インターンでもアルバイトでも、とにかく一度決めたら全力で取り組んでほしい。
一つのことを、全力で1〜3年続けてみてください。
そして相手の期待に上回る仕事を続けていれば、必ず次のチャンスがやってきます。

学生たちを見ていると、優秀な人が色々なことをやるよりも、
不器用でも同じことを1年間続けている人の方が、結果的に伸びているようです。
色々なことに手を出しすぎて、逆にチャンスを失ってしまうこともあるため
自分なりに取捨選択して集中する必要があります。

あとは、時間があればとにかく遠くへ行きましょう。
社会に出ると長期の旅行はなかなか難しくなります。
将来、ビジネスで海外進出したいならば、
色々なことを知っておいて損はありません。

違う世界をたくさん見て、何事もたっぷり吸収してください!

株式会社メテオライズ 代表取締役社長 渡邉 幸二

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代表取締役社長 渡邉 幸二

代表取締役社長 渡邉 幸二

設立 2010年
事業内容
    • ゲームソフトの企画・開発・販売・運営
    • デジタルコンテンツの企画・開発
会社HP http://www.meteorise.co.jp/index.html

幼い時の夢と親の後ろ姿

私自身、中学高校の時点で既に、自分の進む道はゲーム業界だと考えて、強く決めていました。
その道以外はあまり考えていなかったようにも思います。

それに加え、家自体が自営業だったこともあり、
親の働く姿という物は子どもながらによく見て覚えていました。
親が店を経営する姿は、今の自分とも少し重なるような気もします。
そこからの影響も少なくはなく、親の後ろ姿に影響されてか経営者という物に対する意識は、
当時からうっすらと持っていたのではないでしょうか。

今の自分を当時の自分が思い描けていたかという事は別としても、
幼いころからの夢であったゲーム業界への憧れ。
そして、親が働く姿から得ていた印象が強く残り、
今の自分を形作っているのは間違いないでしょう。
そうして、前身となった会社を受け継ぎ、今「メテオライズ」の経営者としての私がいるのです。

人を成長させる責任

事業としての骨格を作るのは社長である私の仕事ですが、それに即した形で進め、
華を咲かせるのは社員の仕事だと考えています。
土台と環境作りといった、種をまき、芽を出すような仕事は全部私がやるので、
後は社員に自由に育てさせるようにしているのです。
行き過ぎたものを止めるのも私の仕事ではあるのですが、基本的に自由にできる環境に、
社員たちもやりがいを感じていると思います。
一つのものに対しての答えは一つでない以上、
向いているベクトルをある程度決めて自由にやる事が達成感や楽しさにつながるのではないでしょうか。

ここで社員に与えられた物は自由だけではなく、責任という物も同時についてくるのです。
それに対して萎縮してしまう可能性があることも確かなのですが、
私はその責任も人が成長する上で大切な事なのだと考えています。

社名と共に変化を

我が社は前身となった会社から、社名を変えるに至りました。
そのタイミングで、社員全体で一つの事を考えたいという想いから、
どういう社名にするかという事も社員全員で考える事にしました。
全員で考え、全員の想いから生まれたのが、今の「メテオライズ」という社名でした。

この様に新しくなった我が社ですが、前身となった会社からほぼメンバーは変わらずにいます。
理念等の基本は変わらない中、それに加えてさらに行っていきたい事が増えてきました。
ゲームと生活のつながりを、今よりももっと革新的に進め、ユーザーの皆様に届けたい。
それが我が社が行っていきたい一つの大きな事となります。
ゲームの中に、今までなかった体験を作り出したいと考えていて、
その達成に向けて日々考えさせられているのです。
その様な野心を持ったメンバーで今の我が社は構成されているのです。

その他、経営の形も少し変化していて、未来を見据えた動きを意識して
自分たちが自立するための体制作りを行っています。

戦場を狭めない

我が社が持つ特徴としましては、
スマートフォンとゲーム専用機の両方に事業を伸ばしているという事が挙げられます。
ゲーム会社によってはスマートフォンかゲーム専用機のどちらか強い方に軸を置き、
その強みを伸ばすという会社もあり、増えてきおります。
当然その一点突破型で成功する会社はたくさん存在しております。

その中で、あえて両方の事業に挑戦するというのは、
わが社の「戦場を狭めたくない」という意識が作り出している状況と言えるでしょう。
色々なものに挑戦していかなければ、先述したような、
我々が目指している「新たなゲーム体系」という物は生まれないのでは、と考えているのです。
これは、様々な物に触れて学んだ上で、ようやく達成できる目標だという事ですね。
そのような意味では、どの様な形のものであっても、
ゲームというクリエイティブが作り出せる場であるのならば、
場所を選びたくないという物が私自身の考えとなっています。

目指すところのために多くを知って、経験を積む必要があるのだと思います。

質を保った挑戦へ

スマートフォン自体が驚くほどの進化を遂げつつありますので、
その流れに合わせた他のデバイスが現れる可能性も十分にあると思います。
そこにゲームというクリエイティブが生まれる余地があるのならば、
そこにも手を伸ばしたいと考えています。
しかし、ビジネスの世界であるという事も忘れてはならず、
その場で勝負が出来るのかという事も考えなくてはなりません。
勝てる勝負なのかという事、そして何より作りたいという想いが重なった時に本当の意味で
勝負をかけに動き出すのでしょう。

その様に新しい部分に手を出す際にも、質が重要だと考えています。
その為、新しいことをするからと言ってむやみに社員を増やすという事はしよう思いません。
むしろ、そのような時ほど人を選びぬきたいと考えています。
その上で小さい会社であるが故の、自分が作っているのだという実感を得られるように
社員を育てていきたいと考えています。
その意味で、わが社と同じような野心を持った方には是非来ていただきたいですね。

今後のビジョンと求める人物像

まずは、今の受託体系を確立するという所を目指しています。
その上で、自分たちでどのようなものを提供していけるのかという事を考えていますね。
スマートフォン等は半年でシーンが変わっていくのが現状です。
そのため、1年後、2年後を予想しながら進めていく事を目指している所です。

今我が社では人数の少なさもあり、全ての仕事を受け入れる余裕がないという現状があります。
社員の質を落とさずに、案件を取り信頼を得るという所にも力を入れていきたいと考えています。

その目指すところの一つとして、我が社では新人を育てる環境が整いつつあります。
その為、どの様な環境で学んできた方でも、経験は不問で採用していこうと考えています。
ただ、そこに必要なものは我が社の野心に共感できるかといったベクトルの部分となりますね。
何より、この業界に入りたいと強く願う気持ちがあれば、
既に大学や専門学校において必要な事は学べているはずで、
後は方向性が同じかどうかという所なのだと思います。

株式会社Arinos 代表取締役社長 古家 由也

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代表取締役社長 古家 由也

代表取締役社長 古家 由也

設立 2010年10月1日
事業内容
    • コンサルティング事業
    • 受託開発事業
    • Webサービス事業
会社HP http://www.arinos.co.jp

学生の頃に経験したビジネス

起業した理由は「大阪賞をつくる」という夢を実現するためです。
「大阪賞」とは、
金銭や時間などの制約によって夢にチャレンジすることが困難な方々を支援する財団です。
この構想が浮かんだのは学生の頃の体験が元になっています。

学生時代には、学生側が企業を評価し、
企業側に「御社はこう見られています」というフィードバックを行うことや、
「学生は企業のこういう所を重視しているので、募集する際はこうしたらいかがでしょうか」
と提案を行うビジネスを行っていました。

当時の事業が軌道に乗り、
お世話になった経営者や管理職の方々に恩返しをするつもりで挨拶に伺うと、
「自分たちはもう歳だから特別にしてもらいたいことは無い。
同年代やもっと下の世代で頑張ってる人を応援する仕組みをつくってあげたらどうか」
という声を多くいただいたことから、「大阪賞」の設立が私の夢になりました。

「大阪賞」のネーミングは京セラの創業者である稲盛和夫氏の「京都賞」がモデルになっているのですが、
同等の規模の財団を設立し、継続的に支援をしていくためには数百億円という資金が必要となります。
必要な資金を準備するために
「起業して上場させる、もしくは上場に資するような会社をつくる」ことを目標としました。
当時の自身の力量では、起業後に上場要件を満たすだけの会社に成長させることは難しいと思い、
学生起業ではなく、就職をすることにしました。

就職活動の軸にしたのは、自身に不足している知識や能力を身に付けられる会社でした。
そこで、マネジメント能力や論理的思考力、ITの知識を伸ばすため、
コンサルティング会社に入社しました。

ビジネスは逆張りだ!

弊社では積極的に海外進出する方針を打ち出しており、
会社設立3年目の2012年10月にフィリピンに子会社を設立しました。
2013年11月にはカンボジアでも子会社をつくる予定です。

フィリピンに会社を設立した理由は、ITの開発センターを自社でつくりたかったからです。
現在、日本では大手企業を中心にIT技術者の採用熱が高まっており、
人材確保が困難であることから、開発センターは海外で設立をすることにしました。
設立にあたり、様々な国を調査しましたが、フィリピンは国全体が成長していることと、
また、国策として、ITに力を入れており、
高いスキルを持った優秀なIT技術者の数の増加していることが決定要因となりました。

今後伸びてくると考えられる国で早い時期に進出し、基盤を築いておくことは、
現地での国の成長フェーズに合わせたサービスの提供と
優秀な人材確保の面で非常にメリットがあると考えています。

カンボジアについては、国内向けのWebサービスは非常に少なく、
IT分野で進出するのはまだ時期早々だと思っています。
現在、現地で注目されているのが「外食産業」であるため、
カンボジアでは「うどん店」を出店する予定です。
飲食事業を通じてカンボジアの方々がどのような生活をして、
どのようなサービスを求めているかを肌で感じるのが目的です。
そして将来的にはフィリピンで開発したWebサービスをカンボジアでも提供することを予定しています。

「ビジネスは逆張り」という考え方を重視しています。
あえて競争が激しい市場や産業で競っていくよりも、
よりニッチな市場、サービスを考え、いかに勝ちやすい状況をつくり出せるかを重要視しています。

成長の4ステップ

フィリピンではIT事業、カンボジアでは飲食事業と今後も様々な事業を展開する予定ですが、
国内では経営コンサルティングの事業の核としています。

設立3年目にして海外進出を進めてきましたが、
会社の成長に関しては4年4ステップを軸にして行動に移してきました。

第1のステップは「お金を貯める」。
設立1年目は内部留保のストックに注力していました。
コンサルティング会社に勤めていた経験を活かして、
短期的に高い収益が見込めたコンサルティング事業を精力的に行いました。

第2のステップは「組織をつくる」。
1年目に貯めた資金を元に、組織をつくるために人を20人程度を採用しました。

第3のステップは「事業をつくる」。
現在がこの段階になりますが、
貯めたお金とつくった組織で新しい事業を色々とつくっていこうと考えています。

最後の4ステップ目は「広げた事業を絞っていく」です。
3ステップ目で広げた事業を最も可能性のある事業に絞ってそこに力を注いでいきます。

この4ステップに沿って進めていくことで、会社を成長させていきたいと思っています。

海外へスピード展開

多くのベンチャー企業は行いたいサービスや売りたい商材を第一に考えて
国内で展開していくのが一般的ですが、Arinosは逆張りを重視しているベンチャー企業です。
国内には既に優秀な人材や優れたサービスがたくさんあり、
あえてそこで競争するよりもこれから発展する国で勝負をする方が、
より容易にお客様を獲得できると思っています。

また、事業内容に関して言えば、
「80%の人がYESと言ったビジネスはやらない」というのも特徴の一つです。
思いついたアイディアを誰かに話して「そのアイディアは成功しそう」と言われることは、
多くの人に想像がつくということです。
以前に聞いたことがあったり、似たような内容が既に考えられていたりするもので、
競争が激しく、成功する可能性は低い気がします。
前例の無いビジネスに挑戦していくことがArinosの強みとなっています。

カンボジアで飲食事業をはじめることにも周囲は驚いていました。
しかしながら、国内よりカンボジアで行うメリットは多くあります。
イニシャルコストこそ国内とほぼ変わりませんが、
人件費や賃料などのランニングコストは圧倒的に安くなります。
うどんを選択したのは、材料の調達が容易で現地の人に教えるのも簡単だからです。
また、製麺機を使えば初心者でも高いクオリティの商品を提供出来るというメリットもあります。

カンボジアの次に進出する国についても、既に目星はつけています。
今後も各国の地域性を踏まえ、それぞれの国で求められるサービスを提供していきます。

自分のやりたいことを芯に持っている人

弊社の社員として働く方々に求める条件はたった一つ。
「将来、こういうことがしたい!」「海外で働きたい!」という熱い想いを持っていることです。

スキルや前職での肩書きなどはあまり気にしていません。
スキルは仕事をしていく中で身についていくものであり、
いくら立派な肩書きや実績を残していたとしても、
弊社のスピード感や温度についてこれなければ全く意味がないからです。

年齢や性別も関係ないと思っています。
夢を追い続けることが出来る人であれば全く気にしません。

将来的に会社が大きくなっていくと
「自分の想いを結果というカタチに結びつけられる人」が必要になってくると思いますが、
現段階では熱い想いだけで大丈夫です。
どんな仕事でも本人の気持ちが重要ですから、
熱い想いを持っている人は失敗を恐れずにどんどんと挑戦してほしいと思っています。

「選択を最善に」

最後に私が大事にしているポリシーを紹介します。
それは「選択を最善に」ということです。

例えば今、人生における分岐点に立っているとします。
そこから先は複数の道があって、それぞれの道の先がどうなっているかは誰にも分かりません。
そのような状況になった時、
どの道を選択しようか思い悩んで結局その場から動けないことが多くなるものです。
しかし、それでは新しい展開へは進めません。

大事なのはとにかく「道を選び、動いてみる」こと。
どの道が正解か分からないからこそ、どの道を選んでも良いのです。
選んだ時点ではその道が正解かどうかなんて分からなくて当然です。
しかし、選んだ後はその道が「最善の選択だった」と思えるように本気で努力することが大事です。
困難で大変な道を選んだとしても「やっぱりこの道で合ってたんだ」と思えるようにするのです。
そうすれば後悔はしませんし、決断に対する自信にも繋がってきます。

皆さんはどの会社を受けようか悩んでいたり、
就職せずに起業しようか悩んでいるなど、分岐点に立っていると思います。
そこでとにかく止まらずに動いてみて下さい。
そして選び抜いた道に自信を持って、その道を一生懸命に突き進んで下さい。
そうすればその道は明るい未来へと続く素晴らしい道となるはずです。

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